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人生の交差点

*いま仕事で、とある大都会でつくるメディアのプロジェクトに関わっていて、都会について思ったり考えたりを繰り返している。僕は根っからの都会っ子で(といっても、神戸だけれど)、よくある田舎生活にはさほど羨望をおぼえない。便利で、豊かに見えてもどこか枯れていて、消費と経済合理性で回っているあの都会の感じが、僕はけっこう嫌いじゃない。

プロジェクトの担当者が言った「主要駅では数十万人が一日で利用するのに、その誰とも繋がらないんだよ」という一言が、みょうに心に残っている。数十万人と繋がる必要なんてないし、そもそもそんなことは求めていない(当たり前だ)。でもその中のひとりくらいは、自分にとっての誰かがいたりするもんじゃないかなぁ、とは、思いを馳せてみたりする。

そしてその反対側で、僕は見ず知らずの、「自分の人生に登場しない人」にすら優しくされている瞬間がある、とも思うんだよなぁ。ぎゅっと縮めて言うと「何があったの?」って聞いてくれないことって優しいなと思うことがある。無視される、ほうっておかれる優しさ、みたいな。40万人は俺の人生なんて考えてねーんだぜ!だから好きに生きろよ、的なのが、生きているとあるんじゃないだろーか。

多様性の終着点って、違いを尊重するの先に「俺もあんたも、たいして変わんねーじゃん」みたいなところな気がする。みんないろいろあって、ギリギリでやってんだなぁ、みたいな。その感覚を、電車で隣になった顔も名前も知らない人に(勝手に)抱くことができたら、僕は優しい世界だなぁと思う。

都会って、なんかそーゆー「人生の交差点」みたいなのが本当は膨大にあるのに埋もれたり消えたりしていってるように見える。本当は、あの人と会うはずだったみたいな、なかったことにしている(なっている、なってしまった)人生の交差点みたいなものが、後からでも少しずつ浮き彫りになると、まちに愛着を持てるのかもしれない。

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