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目的も着地点も身も蓋もない身の上話。

*ぼくには何人か友達がいる。そのうちのひとりと昨日飲んだ。その友達は体調が悪いので、3軒目で先に帰った。帰るからと言って一緒に出ようともせず、「もう1杯飲んでくわ」で事足りる、そんな友達。その人と昨日なにを話したのか、さっぱり憶えていない。きっと向こうも憶えていない。

一緒に過ごしていて楽しいの?と聞かれると、返事に困る。とびっきり楽しい、というわけではない。かといって退屈かと言えばそうではない。むしろ退屈をお互いに、退屈をムダにし合っているような感覚さえする。その時間に目的も着地もない。時間の使い方でいえば、とびっきり贅沢なムダ遣いに近い。それでいい、というか、それを無言で許容してくれる関係性がいい。

どこにもたどりつかない話とか、着地点もオチも何が言いたいかすらもない話とか、実のない身の上話とか、ムカついたこととか、最近考えたこととか、そういう成立しない話。成立させようとしたらダメじゃないけど、ダメ。何を話したかとか、何を思ったかとか、飲み終わった後には忘れてしまってても何の障害もない、そんな話。それができるのが、友達な気がする。

ぼくには何人か、そういう友達がいる。そのうちのひとりと昨日飲んだ。その友達は体調が悪いので、3軒目で先に帰った。帰るからと言って一緒に出ようともせず、「もう1杯飲んでくわ」で事足りる、そんな友達。頻繁に会うわけでもなければ、年に一度しか会わないわけでもない。いつもたいてい何を話したか思い出せないので、同じ話を何度かしている気がする。案の定、その人と昨日なにを話したのか、さっぱり憶えていない。でもそれでいいのだ。いつか気が向いたら思い出す、その時間や内容よりも、そんな溶けていく時間を積み重ねれることのほうが、よっぽどありがたいことだと思う。


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