躊躇というゼロゼロ八秒が。

*「ためらい」ということばがあります。「躊躇」と書いて、「ちゅうちょ」とも「ためらい」とも読んだりするね。辞書を引いてみると「決めかねてぐずぐずしていること」とある。しかし、ぼくの「躊躇」のイメージはもっと瞬間的なものだ。左と右に分かれている道の真ん前でうんうん悩んでいるというより、もっと瞬間的に起こるもの。美味しそうな料理を口に運んだとき、よくよくみてみれば自分のきらいな食材が紛れていた感じ?そのときの一瞬だけ心も身体も停止するあの感じが、ぼくの中での「躊躇」のイメージに近い。

ぼくにはそういう「躊躇」がけっこう多くて、それを経験するたびに落ち込んでしまう。その「躊躇」をなく、一瞬の躊躇をすることもなくやり遂げる人たちを見ると「かっこいいなぁ」と、じぶんにはできないなぁと思ってしまう。その「とっさ」にも近い一瞬が、その人の本性をあらわすと知っている。

この前、友人と、道端で柱にリールをくくられた犬さんとあそんでいるときだった。小型犬で、ぼくの何十分の一くらいのおおきさだ。その友人は犬を見るなり、なんの躊躇もなく、地べたにぺたんと座り込んだ。なんなら寝転んで、その犬をわしゃわしゃと可愛がったり遊んでもらったりしていた。その友人がなぜ寝転んだのかはすぐ分かった。目線を合わせようとしたからだ。

しかし、だよ。ここは家でもなんでもなく、屋外の道端で、夜にしては人通りも多い場所なのだ。ぼくもぺたんと座り込んだけれど、着ている服が汚れるとかさ、そういう考えは巡るわけだよ。でもその友人は、なんの躊躇もなくスムーズに座り、しまいには寝転んだ。その「なんの躊躇もなさ」が、かっこよくて羨ましくって仕方なかった。ぼくも結果として同じ行動をとったとはいえ、そこには一瞬の躊躇が存在する。そのゼロコンマゼロゼロ八秒に、その人があらわれる。

友人が酔っ払って吐いたときに、なんの躊躇もなくその手で口を拭う人もいた。電車で席をゆずるとき、なんの躊躇もなくサッと立ち上がる人がいた。そういう躊躇のなさが、ぼくは好きだしかっこいいと思う。し、ほんとうの意味で「やさしい」ってのは、こういうことだとも。だってそのとき躊躇しないってことはさ、やさしいとか良いことだとか、そんなことを考えずにやっている、やれているわけだよ。おれもなりたいんだよなぁ、そういう人に。


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