見出し画像

欠点は意外に誰でも気付く

*この前、8歳の友達と話してたら「れつさんってこういうとこあるよね〜」って言われたんですよ。ドンピシャで欠点見抜かれて。ああ、欠点なんてものは初対面でも子供でもけっこう気付くし、ピンポイントで指摘できるもんなんだなと。よく考えたら僕も小学生の頃、野球のコーチのこういうとこあるなぁと思ってたりした。

でも逆に「褒める」のには才能がいる。褒める言葉は曖昧になりやすいし、褒め方だっていろんなアプローチがある。褒める行為は、やり方によっては上下関係を生み出したりすることもある。上に立ったり、人間関係をなるべく円滑に進めていく資質は、相手のいいところをピンポイントで、良きタイミングで指摘できるところなのかもしれない。花だって、咲いて欲しいと願って目をかけるから、自ずと咲くんじゃないかと信じている。

「欠点」は直すことよりも、周りにうまく伝えることのほうが大事なのではないか、と数ヶ月前に考えていた。欠点は直せ!と自分自身に思ってしまうから、他人の欠点を垣間みたときに「直せ!」と同じようにけしかけてしまう要素も多分にあるなぁと。もちろん、あぐらをかいていい!ってわけじゃないんだけれど、配置や事前に知っておくことで許容できたりクッションになったりもある。

好きな作家のエッセイに「家族は順番に迷惑をかけていい生き物だ」という言葉があった。家族という小さな社会くらい、そうあってもいいのかもしれない。もちろん、迷惑を拒否する権利だってあるしね。ただすべての迷惑を拒否して生きることは、きっと人間社会ではかなわないし、仮にそれができたとしても、それこそ「サービスの国」みたいになっちゃうんじゃないかなぁ。

迷惑の話をするとどうしても、「かけられたこと」について考えてしまうけれど、自分の見えていない「迷惑」についても、たまには思いを馳せてみたい。きっとたくさんある。ないよ!なんて言う人間がいたとしたら、それはそれで大迷惑かもしんないなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?