桜が咲くと思い出すこと

*桜が咲くと、ぱあっと街全体があかるくなったような気がする。それにつられて、ぼくたちの心もほんの少しだけ、明るくなるような気がする。他の木々を見ても特になんとも思わないことが多いが(イチョウとかスギとかヒノキさん、ごめんね)、桜はやはり格別だ。見ているこちらが目を奪われてしまうほどの魅力がある。

桜の木が種から花開くまで、少なくとも三年の月日がかかるそうだ。四年、五年、もっとかかるものもあるという。つまり、今ぼくたちが見ている桜は、すくなくとも三年以上前に、誰かが植えたものである。植えて、世話をして、そうして生き続けてきたものが、いま美しい蕾をつけて、開花している。桜が咲く時期になると、ぼくはいつもこのことを思い出す。

ぼくたちは桜が咲いている季節以外、その樹を「桜」だと認識することは少ない。春にだけ注目される、もしかすると哀しい樹なのかもしれない。いや、こんなのは人間の勝手だね。それでも、花がついていない時期の花々を、ちゃんと見ていたいなぁと思うのだ。

・「木を植える」という行為は、未来への投資に近い。植えてすぐ何かを得られるわけじゃなし、植えただけで済むわけでもなし、世話をして、目をかけてやる必要がある。だからよく「明日世界が終わるとしても、リンゴの木を植えるか?」みたいな文句がささやかれるのだろうね。三年以上前、桜の木を植えた人は、こんな景色を想像して植えたのかなぁ。花の下で飲めや歌えや、道ゆく人が目を奪われる景色を想像して、植えたのかなぁ。そんなことはわからないが、この考えも、その桜を植えた人がいなかったら、思いつきもしない考えだ。

花の名前を、子の名前にする人の気持ちが、ほんの少しだけわかる気がする。そこに生きているというだけで、花は素晴らしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?