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あらゆる私がわたしのなかにいる

*とある冊子の企画で、占いのような、診断のような企画をつくっている。いわゆる診断チャートみたいなものを作って、あなたは〇〇タイプ!という着地でそのタイプについての説明をするのだけれど、単なる心理テストみたいな紹介じゃおもしろくないので、ちょっと占いの要素を交えたようなものにしていて、それの中身を考えるのがとにかくおもしろい。好きだし、向いているんだろうなぁと思うほどだ。

書き出しでワケのわからないことから始まった方がおもしろいよなぁと思って、自転車競技のことを書いてみたり、かたや宇宙飛行士を登場させたり、ピカソやゴッホを生き返らせたりしている。あらゆる自分の制限を取っ払いながら、あっちこっち好き勝手、地球どころか宇宙にまで舞台を広げて、例えたりして書いている。これ、世界観をつくる練習にもなりそうだ。

ただね、書いてみて思うのは、あらゆるタイプや性格に分けてみるものの、そういうものは全部、自分というひとりの人間の中にいるんですよね。感覚的な自分もいれば、論理的な自分もいるし、すぐに行動したい自分をちょっと待て!と引き留める思考派の自分もいる。孤独が好きな自分も、みんなでワイワイ騒ぐのが好きな自分も、芸術家のような自分も無個性に見えてしまう自分も、それぞれ「わたし」というひとりの人間の中にいるもんだ、と。

多種多様なキャラクターが出てくる創作物を、実はひとりの人間が描いているように、どんな個性を持ったキャラクターであろうと、それを薄めたくらいの要素やエッセンスは、きっと自分の中にある。その少量のエッセンスを膨らませるようにして、肉付けしてキャラクターや個性を描いていく。小説や映画で、自分とは似ても似つかないキャラクターでも、たまに共感したりしてしまうのは、そういうことなんだろうなぁ。

あらゆる自分が、自分の中にいる。そのことに気付けるのが、小説や映画といった創作物なんだと思う。そういういろんな自分が手を取り合って進むことができたら、ものすごい力を発揮するだろうなぁ。子どもの自分と大人の自分が、タッグを組んでいるみたいにさ。

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