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春のチカラ。冬の厳しさ。

*こちらは大阪。現在の外気温は5℃です。これを書いている僕の部屋の気温は3℃です。おかしい。辻褄が合わない。

急激に寒くなりました。うちの家は築年数が相当ありますから、夏は外より暑いし、冬は外より寒いです。季節からグラデーションがなくなっていって、冗談のように言っていた、夏と冬の「二季」しかないように本当になってきたなぁ。

「冬」ということばには、寒さの持つ厳しさというイメージが付きまといます。「冬の時代」とかね。植物や動物が寒く厳しい冬を耐え、春を待ち忍ぶように、冬はけっこう大変な季節なんだなぁ。僕ら人間の思っている「冬」と、動物が感じている「冬」は、きっと天と地ほど違うものだと思いますよ。そのせいで「冬眠」なんかするくらいだし。

本州の人と北海道の人でも、「冬」のイメージはだいぶ違うだろうなぁ。『北の国から』でしばしば「冬を越えれるか」という言葉が出てくるのだけれど、それだけ人間にとっても「越えれるかどうか」の命の危険があるほどの季節なのだ。「ここでは冷蔵庫は、物を凍らせないためにあります」って言うくらいだしね。

それと反対に「春」にも、ふんわりとはしているけれど、どこか強いイメージはありますよね。春のことを思い出しているとき、冬の寒さは忘れているのです。俵万智さんの「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」という短歌だってさ、強引な意訳をしてしまえば、そのふたりの間にある距離感や関係性は「春」なわけだよね。

なんていうのかなぁ、「春」にはこう、有無を言わさないようなチカラがあるよね。なんてことを、冬の寒空の下思ったわけでありました。春のことを書いていると、ほんの少しだけ寒くなくなるね。


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