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「よくみる」こと。

*週に1本エッセイを書くようになって、今までの思い出を振り返る機会がものすごく増えた。もちろん、ふと頭に浮かぶこともあれば、捻り出そう絞り出そうと、引き出しという引き出しを開けまくることもある(もちろん、からっぽなことも)。そうこうしているうちに、まるで人生訓のように思ったこと。それが「よくみる」ということだ。

ちょうど昨日、小学生の頃に作った秘密基地のことを書いた。今となっては過去のことなので、実際のそれを「よくみる」ことはできないのだけれど、代わりに「思い出」のほうをよくみることはできる。公園はどれくらいの広さだったか、秘密基地に置いていたものは、そのときの匂いは、木々の種類はなんだったか。絞ったレンズが徐々に緩み、周りのボヤけていた景色の解像度が上がっていくように、まつわるものをよくみることで思い出していく。もちろん、そこには「嘘」や「勘違い」も多量に含まれているのだろうけど。

芸大を目指す高校生の映画で、絵の塾に通ってデッサンをする主人公が、先生から何度も言われていたセリフがあった。それが「まだまだ見れてないね。もっとよくみなさい」だった。耳にタコができるくらい、映画の中で何度も何度もこっぴどく「よくみろ」と言われていた。それは対象についてもっと理解しなさいという意味で、その理解がなければとうてい上手に書けないということなのだろう。

漫画家の中でも、人の絵を上手に描こうと人体について勉強するってのもある。それも「よくみる」のひとつだ。小説家や映画監督が、テーマについて調べたり勉強したり、取材をしたりすることも「よくみる」だ。ほんっとーに当たり前だけれど、りんごを想像して描くのと、目の前にりんごを置いて模写するのだと、そりゃもちろん後者の方が似せて描くことはできるわけだね。

いま、自分に思い出すときによく言い聞かせるのが、この「よくみる」ことだ。二十四時間営業で「よくみる」ことはできなくても、ふと思い出したときに、よくみておくこと。子供の写真はやっぱり親が撮るものが一番いいなって思うのは、やっぱりその親がいちばん、その子のことを「よくみて」いるからなんだろうなぁ。


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