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うつくしい街

*電車からゆるやかに流れる街並みを見ながら、思った。当たり前だが街はカラフルだ。建物によって色が違うし、そこに建てられている看板やポスター、「〇分〇〇円!」と書かれている謳い文句の紙の色も違う。建物も白や茶色がベースかと思いきや、意外にそうではない。青も緑も赤っぽいのもあれば、広告で埋め尽くされた壁はその広告の色が主体となっている。

街並みの色がカラフルなのは、つまり建物一つ一つの色が違うのは、そこに何も規制がなく、自由にしていいからだ。建物を何色にしようが、看板をどんな書体でどんな色で、どんな広告を出そうが縛りはない。それぞれが好きなようにやった結果、それぞれのバラバラな好きが重なった今の街並みになっているというわけで。

突拍子のないことを言って申し訳ないけれど、これ、ある街の色を例えば「赤」とかで統一したらどうなんだろう?建物の色も、そこに出す看板も広告も、ぜーんぶ赤色にしなきゃダメです、という地域の条例をつくる。その街は一面、赤一色の景色となるわけだ。あの店もあの建物も、赤。街一面、赤くなる。海外のどこかで、白い街並みの場所が有名なように、下手な町おこしよりもよっぽど観光客増えたりしないのかなぁ。ま、観光客が増えてもその後どーするかが大事なんだろうけれど。

京都の街並みが美しいのは、碁盤のように作られた道と、建物高が規制されたりしていることもあるでしょう。建物自体が美しい、それは有名な建築家の手を借りないと無理かもしれないけれど、「街ごと美しい」は、じつは市民の力でどうにかなるんじゃないか?とも思うのだ。たとえば、市民がよくゴミを拾ったり、捨てたりしない「ゴミの落ちていない街」ってのも、ひとつの魅力だよね。


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