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どうして文章を書くのか、その備忘録。

*ミュージシャンの友人が、いつかのライブで「きっと私は、生きにくいから音楽やってます」と言っていた。すごく自然に出たことばで、内容以上にその音が心地よかったのを憶えている。

ぼくはなぜ文章を書いているのだろう、と駅からの帰り道で考えてみる。それしかなかった、というわけでもない。いろんな表現が好きだし、いろんな表現を観に行くことも多い。文章が上手いからか、と聞かれるとそうでもない(上手くなりたいとは思っている)。書くのが楽しいから? いや、書くことは体力も頭も使うし、けっこう大変だ。好きではあるが、楽しいわけではないと思う。

書きたいものがあるのか?と聞かれると、むづかしい。ないわけではない。しかし、しっかりあるかというと、まだふにゃふにゃである。ただ、ないこともないなということを最近自覚してきたので、それはいい傾向なのかもしれない。そんなあやふやで中途半端のくせに、どうして文章を書いているのだろう。

そうだ、ぼくは文章を読むのが好きだ。エッセイも、小説も、詩も、短歌も、誰かの話す言葉ではなく、考え、練られて並べられた言葉たちが、それらから構成される世界が好きなのだ。そして、そんなことができる人間のことを、ぼくはものすごく尊敬してしまっている。

ぼくはきっと、「小説家」や「作家」などといった、言葉で世界をつくる人たちが、この世でいちばんカッコいいと思っているのだ。もちろん、画家も噺家も職人もサラリーマンも、カッコいい人はいる。けれど、ただ単に好みと相性と偏見で、ぼくは文章を書く人のことを世界でいちばんカッコいいと思っていて、それになりたいのだと思う。

文章には、音も景色もない。あるのはただ目から流れてくる文字情報で、それを脳内で構成し、想像するだけだ。臨場感でいえば、ほとんどゼロに近い。それなのに、心に刺さったり、感動して涙が出たり、感情が溶けていったり、ため息をつきたくなるほど素晴らしかったりする。いい文章を読んだ後は、ここではない遠いどこかに誘拐されたような感覚にすらなる。僕は、読み手として、そういう文章が大好きで、そんな文章を書く人のことを尊敬しているのだ。そして、自分もそうなりたいと願ってしまったのだ。

まいにち文章を書き始めて五年、毎週エッセイを書いて一年、ようやくそのことを自覚できた。ぼくは作家という職業が、この世でいちばんエライとは思っていないが、この世でいちばんカッコいいと思い込んでいる。そして、そんなカッコいい人間になりたいだけなんだね、ぼかぁ。なんとも不純な動機だが、きっかけはそんなもんだ。結局、つくったものがすべてなのだから。


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