見出し画像

世界は「その他」でできている。

*世界は、あっとーてきに「その他」の方が多いのだ。世界は、その他でできている。そう言ってもいいほど、自分の知っているものや手にしているものは、すくない。一歩外に出れば、世界はその他だらけである。

自分が見えている世界より、見えていない「その他」のほうがよっぽど多い。自分が知っていることより、まだ知らない、これから知ることもない「その他」のほうが果てしないくらい多い。広い広い世界の中で、自分がどれだけちっぽけで、「その他」の方がどれだけおおきくて広くて多いか。考えればすぐに分かることだね、「その他」の大きさってのは。円グラフにすれば、ほとんどの面積が「その他」で埋まることがほとんどだよ。

「その他」の存在を、そのおおきさを知るということは、大海で泳ぐようなことだ。自分が知っているもの、持っているもの、得ているもの、見えているものがすべてだと思っているうちは、どれだけ広く見えようが、それは井の中なんだね。世界にはいろんな海があって、温度も海流も天気も違っていて、まだ知らない生き物も、波があることを感じることが、大海で生きるということだ。ぼくも、まだまだ井の中だけれど、大海を感じて泳ぎたい。いや、大海で泳ぎたい。

井の中では、同じく井の中に棲む生き物としか出会えないんだね。広く大きい大海で、同じように泳ぐ誰かと出会ったとき、だからうれしいんだね。隣の人と無関係でいられるのだって、世界の良さのひとつである。

世間で生きるな。世界で生きよう。狭いなと感じたら、そこは「世界」ではなく「世間」だよ。その他大勢がひしめく世界は、すべてを知れることないほど広いんだから。思えば、旅をすることって、「その他大勢」に名前をつけていくようなことと似ている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?