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今この場所でしか生まれない奇跡

*ぼくはけっこうな遊び好きで、友人と飲みながらオリジナルの遊びをやったり、発明したりする。「あいだゲーム」という、AとBの”あいだ”を挙げていくゲームは、中でも最高傑作だ。これについては、文章で説明するのが剣道、じゃなかったメンドウなので詳細は割愛します。もしぼくと会ったら、どんなゲームですか?と聞いてみてください。

それと同じくらいよくできたゲームが「連詩」という遊びだ。これは京都の飲食店の店主とつくったものだけれど、なかなかに文化的で、それでいてバカらしく
おもしろい。人数分の紙とペンがあれば、どこでもできる。

まず、紙を縦に四回折り、蛇腹になるように折り目をつける。すると、折り目で罫線ができあがるわけだ。そこに一番上から、好きな文章を書いていく。書けたら、書いたところまでを折って見えないようにし、次の人へ回す。次の人は、前の文章が見えない状態で、また新しく書き、折って隠して回す。つまり、全員が今までの文章を見えない中で、新たに一文のみを書いてまわしていくわけです。で、最後の1行まで書き終えたら、紙を広げて朗読する。

すると、今までの文章は決して見ていないのに、なぜか前後の文章が繋がるタイミングがあるんですよ。繋がっていないのが逆に、スパイスのように笑いを産むこともある。この前だと「人生の踊り場で/雨の中シャンゼリゼ」とか「トビウオ!/音速の友達」とか、「ちゃんちゃかちゃんちゃん、ちゃちゃんかちゃんちゃん〜♪ (小梅太夫のテーマ)/ピル飲んでGO!/今でもすきま風が吹くように、そんな気持ちになる」とか、他にも4~5行繋がってるのもあったっけ。つながっていなくても、前と後で同じ単語が出てきたり、夜や朝などの時間帯がなぜか同じだったりするんです。

これがね、本当にすごいんです。知らないはずの文章が奇跡のようにつながっちゃうんだから。これはきっと、オンラインで離れたところでやっても、おなじことはできないだろうなぁ。同じ空気を吸って、同じ場を共有して、同じ紙をまわして、初めて生まれる奇跡なんだろう。何一つ合理的ではないけれど、やってみると、信じざるをえない奇跡のような繋がりが、文章から生まれるんだよなぁ。

麻雀好きの友人も、似たようなことを言っていた。「みんな同じ牌を手で触るんだから、そこに怨念とか意思とか運が宿っても、なんにもおかしくないと思う」なんて。どれだけ手牌が良くても勝てない「流れ」があるように、この連詩という遊びでも、第六感がキャッチする「流れ」が、文章の流れをつくったりするんだろうな。この「今この場所でしか生まれないもの」は、もっともっと研究していきたい。合理的な説明をつけれるようにして、そのうえで「奇跡」のようなものを楽しめると、めっちゃくちゃおもしろいでしょう。


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