運命なんて、あるのかーしら?

*子供の頃は「運命の人」なんてものを、信じたりしてたっけ。世界のどこかに、自分と結ばれる赤い糸で繋がった誰かがいる。その誰かと出会ったとき、雷が落ちたように恋に落ちるのか、それともすでに出会っていて、しかるべきタイミングでふたりは結ばれていくのか。そんなことをよくも分からずに、なんだか信じていた時期があった。

大人になった今思うのは、「運命」はロマンだよなぁ。ロマンだからこそいいんだけど、ちゃんとした言葉で言い換えるなら「偶然」だよ。偶然を、過去を振り返ったときに「運命」だと思えるか否か、のようなことだと思う。ただの「偶然」を「運命」に変えれるかと言ってもいい。ただ、よくもわるくも、「運命」なんてものはすべて「偶然」だと思うのだ。

例えば恋愛においてだと、「運命」がただの「偶然」だと気付いちゃったときが、パッと冷めちゃったときなのかもねー。でも、そうして冷めてからがどうするか、というのが愛とかなんとか、のような気もする。冷めて別れてもいいし、冷めてなお愛し続ける人もいる。熱狂の中にいるときには、自分の判断はアテにならない。熱狂の渦の中にいる、つまりバカになっているのだから。ただの偶然も運命に見えるし、世界は自分のために回っているような、まるで「自分地動説」のような感覚におちいる。それは悪いことじゃないし、バカにならないと恋愛なんてできないものね。

「運命」なんてのはなく、すべては「偶然」である。偶然の連続で、ぼくたちの人生は出来上がっている。それを後から振り返って、「運命」だと思うのか、そうじゃないのか。運命を信じるよりも、偶然を愛することの方が、なんだか素晴らしいことのように思えるのは、おいらだけだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?