人生とは、チームプレイである。
*人生とはチームプレイである。と、まず最初に言い切ってみよう。
WBC、おもしろいなぁ。日本の打線はつながるつながる。それぞれが最低限の役割をこなし、後ろへ後ろへと繋いで繋いで、どーんと点を取る。まさしく、これが日本の誇る「野球」だよなぁ。もちろん派手なスーパープレイヤーもいるんだけど、その大谷がチャンスに初球セーフティで意表を突いたり、バントや犠牲フライでチャンスを作ったり得点を入れたり。野球というのはチームでやるスポーツだから、もちろんチームプレイが必須だけれど、それにしてもいいチームプレイだなぁと思う。強いチームというのは、やっぱりチームプレイができている。
いや、複数人でやるスポーツではなくても、チームプレイはあるぞ。フィギュアでも、テニスでも、柔道でもボクシングでも、監督やコーチ、相手を研究する役割の人、選手の体調管理やマッサージをする人、表舞台で試合をするのは一人だけれど、その一人はチーム全員に担ぎ上げられ(支えられて)その舞台に立っている。こんなこと、ぼくがわざわざ書かなくたって、選手本人の方が痛いほどわかっているだろうね。
きのう、落語家の友人に「チームプレイだなぁと思うことはありますか?」と質問してみたところ、すぐさま「落語はチームプレイですよ!」と返答がきた。寄席なら、前後の出番の演者や流れがあるもんだから、それを意識したり、ときには小技で笑いに変えたりして、その日に出る演者全員で空気を作っていくそうだ。それに、囃子を弾く鳴り物さんだっているし、それはもうチームプレイですよ、と。自分の身一つで笑いをかっさらっていく落語家も、チームプレイなんだなぁ。
思えば、すべてそうだ。一枚の絵を描く画家も、ひとりで木を彫る職人も、甲子園も、オーケストラも、仕事も家族でさえもチームプレイじゃないか。どこを見渡しても、チームプレイじゃないものなんて、ありっこないんじゃなかろうか?
人生とはチームプレイである。いや、「人間とは、チームプレイである」のほうが正しいかもしれない。ざんねんながら、一人で生きていくことはできない人間ってやつは、チームプレイが大前提なんだろうね。ひとりの人間が作り出すものでさえ、どれだけ小さかろうが集団というチームプレイから成り立っている。
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