見出し画像

朱に交われば、なんとやら。

*そうだ、「朱に交われば赤くなる」のだ。逆に言えば、朱に交わられれば赤くなっちまうのだ。どうして逆に言ったかは、知らん。


環境が人を作るとはよく言うけれど、これも「朱に交われば赤くなる」の典型的な例だよね。強豪校に進んだ高校球児と、部活に力を入れていない高校に進んだ球児とじゃ、いろんなことが変わってきそうだ。全員のレベルが高いからこそ、強豪や名門と呼ばれるところは、そう呼ばれ続けるわけだもんね。思えば、メジャーに行った大谷翔平選手なんかもそうなんじゃないだろうか。日本の球界にいたままで、今のレベルまでたどり着けたのか、それは今も昔も分からないことだが、彼もメジャーという「朱」に混じり、研鑽を積み重ねて今の活躍があるようにも見える。


ただ、その「朱」は、別に現実世界で持たなくてもいい。ネットの中でも、一年に一度しか会わない関係でも、フィクションの中でもいいんだ。自分が望む赤になれる「朱」を見つけることが、まず大事だ。人生において他人になんかなれない。なりたい自分にしかなれないのだから、その自分を、自分の好きなように色づけていけばいい。色が濁ることも、すべての面がその色にならないこともあるが、それでもやっぱり、自分の好きな色以外で、自分を塗りたくられるのは、ぼくはいやだ。誰かのふりして好かれるのと、自分らしく生きてきらわれるのとでは、どっちのほうがかなしいんだろうね。


自分だけの、自分の好きな時間で人生を埋めることはできなくても、自分でコントロールできる時間の範囲内なら、自分の好きな色に飛び込んでいくことはできるはずだ。きみがいまいるその場所は、きみがなりたい「朱」だろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?