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明日は今日より突風かもしれない。

*「うーん、これは明日やろっかな」なんて言って、今日できることを先延ばしにすることが多々ある。やる気が出ないとか、まだ〆切はたっぷりあるとか、言葉巧みに自分を釈明して、できることを先延ばしにする。それは「予定」ではなく、単なる先延ばしだね。せめて「予定」にするなら「何曜日にやる」と決めてしまおう。序盤にして、自分の耳が痛いけれど。


今日できることは今日やろう。それは使い尽くされ言い古された教えだ。耳にタコができるほど聞いてるのに、ぼくたちは「明日」に回しがちなんだよねー。今日の予定をおろそかにして明日にしたら、明日は明日で、急用が入って明後日に…なんてことも少なくない。


そもそも、どうして人は簡単に「明日にしよう」と先延ばしにするのか。どこか「明日は明日の風が吹く」の「明日の風」を、知らないくせに「いい風」だと思い込んでたり、期待しちゃったりしてないかい?今日より荒む風かもしれないよ。無風かもしんない。それを知っていたら、明日やろうなんて思ってただろうか?


「明日があるなんて保証はどこにある?」なんて脅しているわけではない。明日はあるよ。あるけれど、明日が今日よりいい日なんて、明日という「今日」になってみなければ分かんないじゃない。そういえば居酒屋で「明日もあるし、そろそろ帰ります」って言った若者が、「俺らに明日がないみたいやんけ!」と上司に怒られてる場面があったな。


今日は今日、明日は明日なんだ。ぼくが毎日書いているこの文章も「明日やろう」にしちゃったら、意味も理由も何もかも吹き飛んじまうものなぁ。そういう意味では、人間は皆、日雇い労働者だよ。今日という日雇いを、365回続けたのが一年だ。明日があるからこそ「今日1日でどうなりたい?」って自分に聞けるんだよね。

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