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おかねのいらないくに

*その昔、「おかねのいらないくに」という本を読んだことがあって、そのことをふと思い出した。タイトル通り、「お金」について分かりやすく指南してくれつつ、社会からお金がなくなったら崩壊するのか?みたいなことを、妄想ファンタジーのように紹介してくれる内容だった気がする。正直、内容はあんまり憶えていないけれど、読んだ当時はそれなりに衝撃を受けたものだ。

いまの社会は、「サービス」に対して「受ける側」がお金を支払うことになっている。これはもう当たり前の原則だし、サービスを受けるために、つまり「お客さん」になるためにお金を支払うわけでさ。歌や踊りといった表現にしたって、飲食にしたってそうだ。お客さんになってやるために、お客は「お金」という対価を支払って、そのサービスを受ける権利を買い取るわけで。

これ、逆にしても成立しないのかなぁ?と、ふと思ったのだ。

社会全体のことや、仕組みなんてのは一旦置いといて。考えやすいように、とある地域でやっている「お祭り」とか「マルシェ」みたいな規模で考えてみよう。そこには「コーヒー」とか「焼き鳥」とかはたまた音楽だったりの出し物があるわけで。で、例えば1本300円の焼き鳥を、お客さんが支払うのではなくて、店主が支払うのよ。腕によりをかけた自慢の焼き鳥と、300円をそっと差し出す。お客さんは焼き鳥を食べて、「おいしいなぁ、すごいなぁ」なんて言って、その300円をポッケに入れて帰っていく。店主は、自分の自慢の焼き鳥を、誰かに食べてもらうことにお金を支払うというわけだ。

じゃあ、その焼き鳥屋の店主は出費しかないじゃないか!と思うでしょう。違うんです、焼き鳥屋の店主もまた別のお店で、「美味しい焼き鳥を出す人」としてお客さんとして出向いて、例えばコーヒーを飲んで500円をいただいたり、歌を聞いて1000円いただいたりするわけよ。これ、支払う側が逆になっているだけで、実はお金の動きとしては変わらないんじゃない?と思うのだ。

もちろんまだまだちゃんと考えられてないし、これをやるには人に説明しなきゃいけないし、詰めるところばかりなんだけれど、ちょっとおもしろいと思わない?お客さん側がお金をもらって、お客さんをしにいくという。何よりおもしろいのは、お金を支払ってまで出したい焼き鳥やコーヒーや歌が、そのマルシェでは並ぶということなんだよなぁ。

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