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「つよく」なりたいねぇ。

*「つよさ」とはなんだろう。そんな何周目か分からないようなことを、またタラタラと考えています。というのも、「つよく」なろうとしている人を間近で見たから、それにあてられてるんだろうね。つよくなろうとしてる人は、やっぱりカッコいい。

人はどんなときに「つよくなりたい」と思うのだろう。「つよさ」を求めるのだろう。子どもの頃、つよくなりたいと思ったのはいつだったか。ああ、歳上の小学生にコツンとやられて、泣いて帰った日だったっけ。

「つよくなりたい」は万能だ。それでいて、曖昧だ。「つよさ」とは何か、みんな分かっていないから、意味と反してふわっとしている。「つよくなりたい」なら、ただ漠然とした「つよさ」を求める前に、いや、求めたくなったときこそ、どんなふうに「つよく」なりたいのか考えてみよう。ひとりで生きていけるのがつよいのか、手を取り合って握りしめるつよさもあるかも。がまんという「つよさ」、さらけだせる「つよさ」、健康というのもりっぱな「つよさ」だ。生まれ持った「つよさ」もあれば、磨いて光る「つよさ」もある。

ぶん殴って解決するのが強さか?口でねじ伏せるのが強さか?お金持ちは強い?「ボロは着てても心は錦」ってことばもあるぞ。しかし、先立つものがないのは「よわさ」にも思える。押し黙る「つよさ」。責任を持って言い切る「つよさ」。つよさの形も、ほんとうにそれぞれだ。そして、その「つよさ」は何のためにある?

そんなことを考え出したら、いつまでたってもキリがない。キリがない中で、「答え」と「問い」を繰り返していくことが、「つよくなる」ということなんだろうね。そんな終わらない旅は、じつはめちゃくちゃ楽しかったりするぜ。いい旅はいつも「帰りたくないなぁ」と思いながら、自らの故郷に帰っていくものだ。

自分の頭と心とことばでつくられた「答え」は、誰ひとりとしてまちがっちゃいない。もちろん、誰一人として正解でもないけどね。なんにせよ、「つよくなろう」としている人は、いつだってカッコいいです。

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