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普通だとか、群れだとかいうこと

*僕が何かを考えるときに大切にしているポイントのようなものを、ふと思い出した。それは吉本隆明さんがおっしゃっていた「全体のことを考えるときは、中間より少し下の人たちが、どんなふうに考えたり、どんな生活をしているかをきちんと知って考える」みたいなことだったと思う。それはつまり、自分を中心にして考えるのではなく、全体を考える上でのテクニックのようなことだったと思う。

サラリーマンのことを否定したり、働き方がとか、まだ会社に雇われてるの?みたいな、油をそそぐ言い方も一部では流行ってきていますが、それはあくまで「一個人」としての考え方ですよね。だとしたらまあ、否定もできないし、否定される義理もないわけで。それに、どうしても全体のこととか、人間や社会という「群れ」で考えようとすると、「サラリーマン」のことは自分がそうであろうとなかろうと、避けては通れないんです。だって世の中の人のほとんどは「サラリーマン」なわけですから。良いとか悪いとか、そんなさもしい話じゃなくってね。

江戸時代の将軍だって、武士や自分たちのことばかり考えて施策を公布しても、民のことを無視しているわけだから、それはそれで暴君として名を残すわけですよね。身分が分かれていたといえど、そのいろんな身分の人たちについて考えて、条例を出すわけだ。逆にいえばそれを考える能力や技術がないと、裸の王様みたいになってしまう。江戸時代じゃなくたって、現代でも同じことなんだけれど。

自分のことは、もちろん自分を世界の中心に置いて考えることができる。でも社会のこととか、世界のことっていうのは、自分を中心に置いたままでは、末広がりのような考え方はできないんだよなぁ。自分から始まることはあっても、まず自分を「群れ」のひとりとして捉えて、どのように考えていくのかが大事になる。

心理学者のアドラーが言っていた「普通でいる勇気がないやつだけが、特別であろうとする」って言葉を、また深々と噛み締めています。この言葉、たびたび食べなおすんだけど、そのたびに違う味がするんだよなぁ。

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