見出し画像

「お金 =馬力」論。

*「お金」というものについての考え方は、それはもうわんさか世の中に溢れている。好きだとか嫌いだとか、どうすれば集まるだとか逃げていくだとか、倍になるとか働いてもらうとか。お金についての考え方を語って、お金を取る商売だってあるわけです。

でね、お金について、ぼくは正直そこまで考えたことがありません。というのも、どちらかといえば金勘定は苦手な部類です。こう書くと、江戸っ子のようなかっこよさが付いて回るけど、そういうわけでもない。目を背けているだけ、と言われれば、それまでのことだ。

ふと、これはベッドで横になりながら思いついたのだが、お金を考えるとき「円」という単位がじゃまをしているのではないだろうか。「何千円払ったのに」「数万円で買えた」「一億円手に入れたぞ」とか、「円」という、強制的に決められた、目に見えない共通の価値単位がじゃまなのではないか。お金を払って、何かを得る。それをエネルギーの交換だと考えたとき、この「円」を「馬力」に変換してみると、おもしろいんじゃないだろうか。

一杯五百円のコーヒーは、一杯「五百馬力」のコーヒーとして考えてみる。時給千円は、時給にして「千馬力」が手に入る。宝くじで百万円当たろうものなら、手に入れられるのは「百万馬力」である、という、エネルギー変換した考え方だ。

カレーに900円を支払うのではなく、カレーを食べて900馬力をもらうのに、900円を支払う。そう考えると、すっごくエネルギーが湧いてこないかい?きみが今朝飲んだ100円のコンビニコーヒーは、100円のコーヒーを買ったのではなく、100馬力あるコーヒーを100円で買ったのだ。服に三万円支払ったのではなく、服を着ることで得られる「三万馬力」に、三万円を支払ったのだ。すると、お金を使うたびにエネルギーが得られやしないかなぁ。その「馬力」で、お金を生み出してもいいし、お金以外の何かを生み出してもいい。

この「対価=お金」ではなく「対価=馬力」論。今週、実験的に自分でそう思って過ごしてみることにする。物好きな方がいれば、ちょっと一緒にやってみましょうよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?