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「聴こえないものが、聴こえるようになりますように」

「聴こえないものが、聴こえるようになりますように」


立ち飲み屋で急に始まったシンガーソングライターの歌に出てきた歌詞だ。「ように」という表現が続けざまに二度使われているので、こうして言葉に興してみると違和感があるけれど、好きな日本語の使い方だな、と思う。文法的にはまちがっていたとしても、ニュアンス的にはまちがっちゃいない。「聴こえますように」とは、ちがうんだ。と、自分がつくった歌詞でもないくせに心の中で思う。メロディも歌詞も、そこまで前のことじゃないのにもう思い出せない。たしか「わざと歩いた車道の上で」という歌詞があったかもしれないと、書いている今おぼろげに思う。

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「聴こえない言葉」は、たしかにある。心の中の言葉だ。


「口に出した言葉」と「口に出さなかった言葉」、どちらが多いんだろう?と昔からずうっと考えている。思っているのに、話していないことだってたくさんある。無口だと言われる人だって、頭や心の中で何も思ったり考えたりしていないわけじゃない。ただ、「口に出した言葉」がすくないだけなのだ。そもそも、口に出さなかった言葉がない人なんて、いないだろう。おしゃべりな人も、無口な人も、分量こそ違えど心の中にはたくさんの言葉がうずまいている。


それに、僕たち人間は思っている以上に、「口に出した言葉」だけでコミュニケーションを取っていない。彼女との待ち合わせに遅れて、「怒ってる?」と聴いて返ってきた「怒ってないよ」をそのまま受け取る男は、モテない。モテない男か、彼女が優しいかのどちらかだ。口に出した言葉だけでコミュニケーションが成立しないことを僕たちは、心のどこかで分かっているはずなんだ。

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もう何年も前のことになるけれど、忘れられない日がある。いい意味で忘れられないのではなく、後悔しているという意味で。

キャンプへ向かおうと、車を取りに実家を出たときだった。実家のすぐ目の前、車道の真ん中に中学生くらいの女の子が座っている。一方通行なので車が通れず、車が通ろうとしては諦め、バックで引き返していた。その光景を、遠巻きに数人の大人たちが囲むように見ている。

「何かあったのかな」と思ったすぐ後に、「まぁ、僕には関係ないか」と思い、その場所を後にした。でも、その場所から離れるほど気になる気持ちが大きくなって、結局引き返した。「鍵をかけたっけ?」と一度思うと、家から離れるほど疑念が大きくなるようなこの現象に誰か名前を付けてほしい。


「おねえちゃん、なんでそんなとこ座ってんの?」と声をかけた瞬間に、まちがえたと思った。当時の僕は20歳を過ぎた頃だったけど見た目は40歳くらいなので、いかにも怪しい。周りの大人の視線が少女から僕に切り替わった気がした。


「日陰待ちです」と少女はうつむきながら言った。「え、日陰?」と心の中でツッコんだ。あ、そうか、日陰待ちなんだ、そりゃぁ邪魔して悪かった、と思いその場を離れようとした。何らかの理由で彼女は日陰を待っているんだと本気で思い、歩き出そうとした瞬間に気付いた。あれ、そもそもここ日陰じゃないか。

また振り返り、もう一度彼女に声をかける。
「あのさ、ここ、もう日陰になってるよ」と言うと彼女は答えた。「すぐに済みますから」と耳からは聴こえた。「なにを済ませたいんだろう」と思った次の瞬間、脳内補正がかかってその言葉が変換された。彼女は「すぐに死にますから」と言ったんだ。そしてその前も「日陰待ちです」じゃなく「轢かれ待ちです」と言ってたんだ。


そこからは、断片的な記憶しか残っていない。
目を離した一瞬の隙に、彼女が車がびゅんびゅん走る大通りへと駆け出したこと。その姿を視界の端で捉えた僕は、考えるよりも先に身体が動いたくせに、周りがスローモーションに見えて、自分の思考だけが普段のスピードで動く不思議な現象を体験したこと。車道というゴールラインに向かって走る彼女を、ラグビー選手みたいに飛び付いてトライ寸前で捕まえたこと。捕まえた瞬間に彼女が大きな声で「なんでころしてくれないの。ねえなんで。なんでしなせてくれないの。もういやだ。しなせてよ」と叫び暴れまわったこと。その叫びが、僕の心の中で初めての響きを残したこと。


その後のことはあえて書かないけれど、あのとき僕がゴールライン手前で彼女のトライを止めたのは間違っていたのかもしれないと、今でもたまに考える。あのときの僕には、彼女の「しなせてよ」という声が聴こえていなかったのだ。いや、聴こうともせずに、ただ僕が救いたい一心で彼女のトライを阻止したんだ。盛り上がっていたのは僕側の観客席だけで、彼女側の観客席から僕はブーイングをくらっていたのかもしれない。

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あえて言っていないことや、
言いたいけど言えなかったこと、
言葉にならなかった言葉、
伝えたいけどうまくいえないようなこと、
言わなくても伝わると思っていること、
言いたくないようなこと。

そんな言葉たちが、誰しものこころのなかに
きちんと存在していると思う。いや、存在しているはずだ。
それに、そんな言葉たちのほうがじつは多いことを、
ぼくたちはときどき、忘れそうになる。


「聴こえないものが聴こえるようになりますように」
その歌詞がずっと頭にこびりついている。


今、僕にはどれだけの声が聴こえているだろう。
聴こえない言葉を聴けるように、耳を、心を傾けることを忘れずにいれますように。


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