見出し画像

コツコツ歩んでいる先輩。

*昨日は久しぶりに、大好きなお芝居ユニット「芝居紳士」さんの公演を観に行った。なんだか久しぶりで、人見知りが発生してしまうくらい、むずがゆかったんだぜ。会場は駅の線路下、2分に一度ゴウゴウと電車が上を通るイカした会場だ。

演目は「エンドロール」。去年ぐらいからやり続けていて、ぼくは3回ほど観たことがある。それに、昨日のはショート版で、全編をやっていたわけじゃなかった。それなのに、まるで初めて観たかのように、やっぱり惹き込まれてしまった。身贔屓もあるかもしれないが、そんな測りにくいものよりも、惹き込まれた事実の方が大事だ。

細かいところにも新しい演出が加わっていたり、演技が明らかに良くなっていたり、何よりいつも通り楽しそうだったり。年齢で言えば一回り以上離れた大先輩なのだけれど、四十を過ぎたおじさん(お兄さん)が、こうして好きなものに打ち込んで、それが楽しそうで、表現したいものがあって、悩んで、生み出して、演じて、を繰り返しながら今もなお上手になったり、求め続けている姿勢が本当にスゴい。そして、何より結果を出しているんだ。ぼくは昨日も、ドタバタ劇に笑いながらも、心が動いたのだから。「全米が泣いた!」なんて広告の映画で泣くより、観ているこっちが馬鹿馬鹿しいくらいのコメディで泣ける方が、ぼくはよっぽど素晴らしいと思う。

何より良かったのは、「観る側」のぼくの成長も感じられたことだった。今までは芝居紳士さんの描く世界にどっぷり浸っていたのが、なぜか少し、その先の「表現したいもの」について、少し考えを巡らせることができた気がした。合っているかどうかはさておき、きっと「こういうこと」を描きたいんじゃないかな、という部分にまで考えが届いたのは、ぼくにとっても嬉しいことだ。それは、詩人が詩を読むときの、動機に近いようなものなのだから。

思えば「ファン」というのは、そういうことかもしれないね。描きたいもの、作りたいものが、一寸の狂いもなく鮮明に描けることは、きっとほとんどない。それでも、描いたものを見ながら「描きたかったもの」を想像するのは、ファンの楽しみだなぁ。久しぶりに、芝居紳士のひとりひとりと、時間をかけてゆっくり話がしたくなった。いや、いつでも話したいことは、ゴマンとあるんだけどね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?