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自分一人で何かを守るなんて、簡単なのかもしれない

*きのう、お手伝いしている会社の新年会があって、深夜に社長からお叱りのメールがメンバー全員に届いていた。それは「新年会でのメンバーは何を考えて動いてたの?」というもので、ただ飲み会をすればいいわけじゃないんだよ、といった趣旨のものだった。そして、お叱りを受けているメンバーの中に、自分が含まれていないことも分かっていた。ぼくも同じようなことを、他のメンバーに対して感じていたからだ。


新年会は約50人程度の人たちが集まり、顔見知りもいれば初めましての方もいる。最大公約数は「ぼくたちの会社の新年会に来てくれた」ということだけだ。こうした大人数での場の立ち振る舞い、僕がその場のホストなら何を求められているかはすぐ分かる。西に話が盛り上がっていないテーブルがあれば赴き、東にひとりで飲んでいる人がいれば駆けつけ、南で知り合いのAさんとBさんを繋げ、北で全体を俯瞰しながら準備や後片付けをなるべくやっておく。29年も生きていれば、自然と身に付く処世術だ。


その自然と身に付く処世術を、僕は他のメンバーの誰にも共有しなかった。共有どころか、指示すら出していなかった。出すのもめんどうだったし、そのぶん自分が動けばいいや(動いた分だけ評価されるのだから)という心持ちだったのだ。そうやって人の信頼を獲得してきたし、ずっと一人で仕事をしてきた身なので、そういうクセが染み付いてしまっていた。


しかし、友人でもある社長からの、直接的には僕は含まれていないお叱りのメールを読んで、けっこう胸に刺さるものがあった。それはぼくが自分ひとりのことしか考えていないという事実だ。会社というチームで動くのなら、僕はその処世術について先に共有し、指示を出したり、この場の目的や心持ちについて他のメンバーにきちんと伝えて、意識を統一すべきだったのだ。


この事実は、ぼくをひどく落ち込ませた。自分一人で何かをやるなんて、実は簡単なことなのかもしれない。自分の大切にしてほしいことと、相手の大切にしたいことを双方で守っていくことのほうがはるかに難しい。だからチームってめんどくさいんだよ、という思いも正直あるが、個人での限界を感じている以上、ぼくはこれからそこに向き合わないといけないと思った。

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