話すより、聴く方がおもしろい。

*ありがたいことに去年くらいから、対談やトークライブの「聴き手」として、声をかけてもらえることが増えた。これは、ぼく自身が話し手として登壇することよりも、嬉しいことだ。それは、ぼく自身がお客さんに向けて何か話すことよりも、相手がいて、その相手の話を聞いてみることの方が楽しいと思っているからに他ならない。というかそもそも、ひとりで不特定多数のお客さんに向けて話したいことなんて、ぼくにはない。あったとしても、それはエッセイや文章の中で書くもので、ぼくにとって不特定多数に「話しかける」ものではない。

昨年末に一度、ぼくが「話す」側の機会をいただいて、30分ほどMCの人と話すことはあったけれど、あれはちょっとひどかった。自分でも、さすがに凹むくらいひどかった。どこにボールを投げていいかも分からないまま、とくにおもしろくもないことをダラダラと話している時間になった。取り返そうとおもしろそうなことを言おうとしても、それは逆効果だ。そのときに改めて、ぼくは「聴き手」という役割の方が、向いているんだなぁと思った。

聴き手として意識することは、じつは少ない。一言でいってしまえば「新鮮な会話」になるよう、努力することくらいだ。すなわち、話している相手にとっても、聞いている人にとっても面白い時間。聞いている人はおもしろくても、話している側が何度も喋り慣れているようなことだけ話していたら、それはきっとおもしろくない。その空気感は、きっと周りにも伝わってしまう。

しかし、話す側が話し慣れていることでも、お客さんにとっては「はじめて聞く」ことはある。その場合は、話し慣れていることの部分を、ぼくが問いの前に枕として言うんですよね。例えば「絵を描き始めたキッカケは?」と聞くのではなく、下調べしたうえで「キッカケはおばあちゃんが絵が好きだったと聞いていますが、おばあちゃんの好きな絵に影響を受けたりしたんですか?」みたいな具合に。これだけで、お客さんにとって初めての情報と、話し手にとって初めての問いがセットにできる。それがつまり「新鮮な会話」の土台になっていく。

そこに、ひとりのお客さんとしての自分の聞きたいことを、ある種好き勝手に混ぜ込んでいくわけだ。聴き手というのは、お客さんの中でも最上級の特等席なんだよなー。やっぱりぼくの理想は「あいつが話しているとおもしろい」ではなく「あいつが話を聞いているのはおもしろいぞ!」って言われるようになることなんだなと思うのです。今、なぜそんなことを書いているのかといえば、これからトークライブの聴き手として、壇上にあがってくるからです。さ、今日も特等席で、ぼくは話を聴いてくるのだ。


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