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心で悪魔を飼い慣らす

*古いアニメや漫画でよく、頭の中で天使と悪魔が格闘し合っているシーンがある。道端に財布が落ちてて、どうする?って感じのやつね。悪魔が出てきて「ネコババしちゃえよ」ってささやくのに対して、天使が「そんなことはダメ!警察に持っていくべきよ」なんて言ってきたりして。あれって、どこから生まれたんだろうね?何で見たか覚えていないけれど、その例えは自分の中に確かにある。かといって、自分の頭や心のなかで、天使と悪魔が出てきて、格闘したことなどない。天使と悪魔はそれぞれで対話するのではなく、間に自分を挟んで、それぞれ片側から意見を述べてくる。

そのシーンについて、友人と話していて気付いたことがあった。始まりはいつも悪魔なのだ。お金が落ちていたり、疲れて電車に座っているところで目の前に老人がやってきたり、善も悪も思い浮かぶ事象が起きたとき、まず最初に出てくるのは天使ではなく、悪魔の方だ。僕がそうなだけかもしれないが、もしかしたらきっとほとんどの人が、悪魔が最初に出てくるんじゃないだろうか?

で、その悪魔を止めるために出てくるのが「天使」なんだよね。そしてさらに面白いのが、天使が述べるのはたいてい「否定」なのだ。「そんなことをしてはいけません」と、自分の心に生まれた考えを否定してくる。対して悪魔は「提案と質問」だ。「ネコババしちゃえよ」「お前も疲れてるんだろ?座ったままでいいよ」と、事象に対しての提案と質問をささやく。

そう思うと、真に自分に寄り添っていて、かつ建設的な対話が生まれるのは、「天使」ではなく「悪魔」の存在なんだよな。そもそも悪魔が心に降臨しなければ、天使だって必要ないわけだし。中井貴一さんが「正義ってのは、悪を止めるために生まれるんです。だから、人間の持つものは、悪が先なんですよ」と言っていたのを思い出す。天使に頼るよりも、心で悪魔を飼い慣らすことが、実は大事なことなんじゃない?って思ってね。そして、いつも「悪魔」がささやくことが「悪」ではなく、「天使」が「善」で「正義」か?と訊かれると、これまたむづかしい話しなんだよなぁ。


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