悲しみの民族、前を向いて。

*「日本人は、悲しみの民族だ」という一文をネットで見かけて、こりゃまた強引なと思う気持ちと、分かるかもしれないという気持ちが半々であった。日本人のみなのか、それが民族性なのかどうかは知らないが、こと人間は、悲しみが好きだよなぁとは思う。悲しみを探しまわって見つけては、その気持ちに触れたりすることを、営みのひとつにしているんじゃないのかなぁ、良くも悪くも。


悲しいニュースを探しては、そこに勝手にストーリーをつけて安心したり、共感して勝手に泣いたりするでしょう、人間ってやつは。もっと大変な人がいるんだ!なんて脅してみたりさ。同情ってやつは良くないし、それについてはまだまだ考える余地がありそうだけれど、なんにせよ「悲しみ」が好きだよなぁ、ぼくらは。悲しい話は、売れるらしいし。


・ラブソングの8割が、失恋をうたったものだ。「いま、幸せでこんなにもイチャイッチャしてるぜ」なんてラブソング、ほとんど聴いたことないもんなぁ。これも、悲しみの表現のひとつだ。悲しみを表現することで、かつて愛したあなたをどれだけ大事に思っていたかを述べているわけだね。失って気付くというのも、人間が持つ愚かさだ。


いつだって、悲しみは過去に対してである。未来を憂うことはあっても、まだ分からない未来を悲しみようがない。「今」を悲しむってのもヘンだものね。起きたことを悲しむことはあっても、今を悲しむなんてのは、日本語的にも使わない。会えなくなった人、失ってしまったもの、どうしようもないこと、起きてしまった出来事といった「過去」に対して、ぼくらは悲しむことができる。ラブソングも、過去を歌ったものがほとんどだものなぁ。


悲しみを(悲しむことを)忘れて、前だけを向いて生きていけるほど、ぼくたちは強くない。かといって、過去を振り返って悲しんでばかりいるのも、バックミラーを見ながら運転しているのと同じで、危うい。安全に、事故を起こさぬように前に進んでいくためには、たまーに過去を振り返って懐かしんだり悲しんだり、糧にしたりしなかったりして生きるのも、進んでいくために大切な儀式のように思う。

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