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まがりにまがりくねった樹

*人生でたびたび、まがりにまがりくねった樹を見つけては、軽く感動してぽかーんと眺めてしまうことがある。ああいう樹が、ぼかぁ大好きだ。どでかい樹より、ぶっとい樹より、神々しい樹より、曲がり曲がった樹が大好きだ。上へ上へ伸びようと思ったのに、天井があったり屋根があったりして、方向を変えては伸び、また方向を変えては伸びを繰り返しているうちにおおきくなった、まがりにまがった樹。

そんな樹に見惚れながら、「こんな人いるよなぁ」と思う。まっすぐまっすぐに伸びようとしていたのに、いつのまにか曲がって曲がって仕方のない樹。そんな人間、あなたの周りにもいませんか。ぼくの周りにもいますし、なんならぼくだって、そんな樹かもしれない。

何かをあきらめた先で、また見つけたり歩める道がある。そう思えば、なにかをあきらめることはゴールでもリタイヤでもなく、新たなスタートだ。しかもスタートラインに戻るわけじゃなく、そこからのスタートだ。人によってはマイナスだと思うかもしれないが、そんなこたぁないよ、じぇったい。ヘンテコに伸びた先にしか掴めないものや届かないものが、きっとあるはずだよ。

人生でたびたび、まがりにまがりくねった樹を見つけては、軽く感動してぽかーんと眺めてしまうことがある。ああいう樹が、ぼかぁ大好きだ。どでかい樹より、ぶっとい樹より、神々しい樹より、曲がり曲がった樹が大好きだ。上へ上へ伸びようと思ったのに、天井があったり屋根があったりして、方向を変えては伸び、また方向を変えては伸びを繰り返しているうちにおおきくなった、まがりにまがった樹。ぼくはそんな樹が大好きだ。そんな樹になりたいし、そんな樹でありたいと思う。そしてそんな樹を、これ以上なくうつくしいとすら思う。綺麗じゃないかもしれないけれど、とことんうつくしい樹だなと感じては、人生でたびたび見惚れてしまうのだ。

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