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対談の極意

*ここ数年で、トークイベントの対談相手に選んでもらえたり、取材の聞き手を担当する仕事が右肩あがりに増えている。このことは自分にとってヒジョーに嬉しいことだし、我ながら向いているなぁと思う。「聞き手」という、ある意味で好き勝手なんでも聞いてもいい立場を与えてもらえることは、怖さもあるがそれ以上に有難いことだ。役得役得。

ただまあ、もちろん一筋縄ではいかないわけで(だからおもしろいんだけど)。相手が本を出していたら、時間の許す限り、というかほとんど出している本は読むし、インタビュー記事には必ず目を通す。なぜそれをやるのかというと、おおきく2つある。ひとつは「相手にテンプレの答えを返させない」ことと、もうひとつは「(いずれ壊してもらうために)相手を自分の頭の中で形作る」ためだ。

例えば「一日9食で痩せる!9食ダイエット」という本を出した人と話すとする。するとまず「どうして一日9食なんですか?」という質問は避けては通れないわけだ。しかし、避けては通れないということはつまり、その答えはどこかしこに落ちている。落ちているがゆえに、その質問をしても著者の中で一番手前の引き出しに入っているものを、めんどくさそうに出されるのがせいぜいのオチだろう。

これを避けるために、まず相手のことを知って、そのうえで質問をアップデートする必要がある。例えば答えが「一日9食だと、給食みたいだから痩せるんです!」みたいな答えだとすると、「一日9食は給食から来ているとのことですが、給食って痩せるんですか?」という、いまだにない答えを引き出すための質問になる。まだ開いてない引き出しや、相手が自分の経験や考えの中から答えを出そうと、自分の言葉を探してくれる。

あとは、こっちのほうが大事なんだけれど「相手を頭につくる」ことなんだよなぁ。その人の話し方や考え方を知ることで、頭の中にその人をつくって会話をできる状態にまで持っていく。そうすると、こっちが質問したことに対して、頭の中でその人が答えてくれるから、どんどんと会話が進む。その中でおもしろそうな質問や流れをピックアップして、対談やトークの材料にするやり方を、僕はほとんどの場合でやる。

いわば台本をつくることに近くて、これをやると何がおもしろいって「台本から外れたとき」がおもしろいんだよなぁ。自分の中で考えもつかなかった答えが返ってきたときに初めて「おもしろい!」と思える。仮にその通りいったとしたって答え合わせのように楽しいし、ほとんどの場合はその通りにいかない。いったとしても自分がおもしろくないので、まだ見ぬ方向へ舵を切ったりもできる。

やっぱりそれぐらい、人の話を聞くのは本当はおもしろいことだよなぁ。目をかけるが愛情だとしたら、耳を傾けるは尊敬だと思う。この考えは、僕がもっとインタビューされる立場になれば変わっていくのか、その変化も楽しみだなぁ。たいていの場合、「される」ことは「する」技術の向上に繋がる。聞くことも話すことも、愛することでさえも。

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