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勉強に目的は必要か?

*学校の勉強には、たいてい「目的」があった。テストでいい点を取るだとか、いい高校や大学に行くためだとか、満点取ったらご褒美を買ってもらえるんだ、だとかね。しかし、大人になってからというもの、勉強に「目的」は必要ないんですよね。仕事で学ばなきゃいけないことはあるかもしれないけれど、大人になってする勉強は、自分がやりたい、学びたいからするものなので、目的なんて必要ないんです。


「学びたい」という動機がすでに目的のようなもので、学んだものを活かそうが活かさまいがどっちだっていい。ただ「学んだもの」という成果がそこにあるだけで、もっといえば、成果がなくたっていいはずなんですよね。趣味なんかと似ているのかもしれない。編み物が趣味の人は、べつに編んだものが高値で売れようが売れまいが、関係ないですよね。編み物をしている時間が好きで、できたものが好きで、もっと上手に編めたら嬉しいだろうなぁと思って、どんどん手を動かしていく。


ぼく自身もたまに陥りがちですが、今の世の中、「目的」がとても重大なものとして語られます。何をやるにしたって目的がいちばん大事だ、と。もちろん、大事ですけど、何を差し置いてでも大事か?と言われたら、きっとそうではない。亡くなった人たちに聞いてみたいけど、みんな目的地に着いてあっちに行きましたか?って聞いたら、ぼくはほとんど「道半ば」って答えるんじゃないかと思うよ。


もっと言えば、人生は目的のためにあるわけではないんで。成し遂げたいことや、ちいさな勝ち負けはあったとしても、目的のために人生があるわけではない。「〇〇のために生きなければならない」なんて、自分を騙すための上手な言い訳ですよ。それに、ことばにしてみると、ちょっと物々しいでしょう。そういえば、ブルーハーツのマーシーが「名言なんて要らないんだよ。名言はいつも言い訳に使われるんだから」なんて名言を言ってたっけな。

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