勝ち負けを無視したら成り立たない。

*高校球児だった頃、一歩間違ったらヤクザ屋さんにでもなっていたであろう監督から口酸っぱく「勝たな、なーんも意味ないぞ」と言われたものだった。耳にタコができるほど言われたものだ。「お前らの三年間も、勝たんと意味がなくなるんや」とまで言われていたんだぜ。高校球児に向けて言うことかね、と思うけれど、なかば納得している自分もいた。そういえば、口酸っぱくと耳にタコができるで、タコの酢の物ができそうだね。

結局ぼくらの最後の夏は、県ベスト8で幕を閉じたのだけれど、終わった後も監督は「お前らはここで終わりや。敗者やからな。これから先はない」と冷たく言い放つだけだった。教育者として正しくないかもしれないが、今思えば、あれは本音だったと思う。文字通り、トーナメント戦で敗者に明日はないのだ。一度負けたら、もう終わりというのが、その戦いの仕組みだ。

勝つことがすべてとは思わないが、勝つことは大事なことだ。それを無視してしまったら、あらゆる競争は成り立たなくなる。みーんな一番じゃ、誰も一番になろうとしない。お客さんや観ている人がそれを言うのはまだ良くても、参戦している人間がそれを言っちゃあお終いだろうて。

仮に「勝ち負けよりも、いい試合をする」が目標のチームがいたら、そのチームが全国制覇することはあるのだろうか。その理想を言い換えると「絵になる負け方なら、負けていい」とも言えないだろうか。競争や勝負に勝ち負けはつきものだが、負けることを念頭において、勝負に挑む人間なんていない。そんなやつがいたら、きっと負けるだろう。

そりゃもちろん、勝負の打席に立てば立つほど、負けることはあるよ。でもそれは、勝つために挑んだ結果、負けただけだ。勝ち負けを無視した負けではない。その「負け」には価値があるけれど、勝ち負けを無視した「負け」に、果たして価値はあるだろうか。

「一回の負けで帰っていくのは素人なんです。プロってのは何回負けても、最後に勝ち越せばいいんですから」と言ったのは、糸井さんだっけかなぁ。あの言葉にはずいぶん救われた。ただ、その負けってのは、勝とうと努力した結果の負けなんだよなぁ。負けが悔しくなくなったら、それは本当の負けじゃないよなぁと、自分に言い聞かせるのであった。


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