見出し画像

他人の意見は、よーく炒めろ。

*ぼくは二十二歳になるまで、コメも炊いたことがなかった(炊き方すら知らなかったのである)。それまで実家で、外食で、誰かが作ってくれるメシで、ぼくの「食」は成立していた。よくよく考えれば、これってすごいことだよね。死ぬまで自分でメシを作ったことがない!なんて人も、実はけっこういるんじゃないかな?

料理に目覚めたのは、たぶん二十三歳のころだ。彼女との同棲をキッカケに、時間を持て余していたぼくは料理にハマった。今ではほぼ毎日、料理をつくっている始末。好きなんだね、料理をするのが。そして料理している時間は、自分にとってリラックスできる時間でもある。

さっきお昼ご飯を作りながら、ふと思ったことがある。誰かの意見を鵜呑みにしたり、借り物の考えに頼ってしまうことは、料理でいえば「生食」に近いんじゃないだろうか。つまり「調理する」工程をすっとばして、仕入れてきた食材をそのまま食べる。そりゃー危ない。当たることもあれば、その食材そのものの味を引き出せていなかったりする。「麻婆茄子」を知らずに、「ナス」を語れるだろうか。

他人の意見や借り物の考えは、よーく洗って、蒸すなり炒めるなり、ちゃんと調理をして食べよう。できればよく噛んで、咀嚼しよう。そうして初めて、自分のことばとなる(ならなかったとしても、素になる)。それをすっ飛ばして生で食べると、なんとも成熟度の足りない、ずさんな味になる。

「生食」がいけない!と言っているわけではない。生食が美味しい場所は、限られているんだね。畑に行って採れたてで食べる。釣りたてを捌いて食う。情報を生で食うなら、獲れたてホヤホヤじゃないと、生の情報とは言わない。誰かから聞いた話は、受け取る前から鮮度が落ちている。それに、生産国も賞味期限も怪しいもんだぜ。

ってなわけで「情報」とか「意見」とか「考え」ってのを、「食」として考えてみるとおもしろいわけですよ。鮮度が一番。鮮度がないなら、よーく洗って加熱して、美味しく食べること。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?