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SNSという露出。

*ぼくはよく、SNSのことを「自分のB面でいれる場所」と呼んできた。顔も声も名前すらも隠して、人と繋がれたり会話ができるSNSは、普段人に見せるのがはばかられるような側面をさらけ出せたり、自分と同じ興味や好きを持つ人を見つけるにはうってつけの世界だ。実際、ぼくもSNSでしか繋がっていないけれど、好きな人や尊敬している人もいる。もちろん、今はもうA面としての機能を果たしているインターネットだけれど、それでもまだ、B面としての要素はたくさんあると思うのね。

で、ぼくが勝手に呼んでいた「B面」の部分を「露出」だと考えれば、おもしろいなぁと思うのよ。おおきく言えば「プライベートの切り売り」みたいなもんだ。普段の実生活では見せない部分を、匿名ならば露出することができる。インターネットで「エロ」が盛んなのも、きっとそんなところにあるんだろうね。脱ぎ方の程度はあるだろうけど、実際に面と向かって言えない悪口を、ツイッターにひとりごとのように書き込んだりするのも、露出の一部だろう。逆に、SNSだとしても綺麗なA面のような使い方をしている人も、抑制から見える裏返した露出がのぞけることもある。

で、「エロ」が好きな人が多いように、みんな「露出」を好むんだよね。好きな人のお尻の穴までのぞいてみたい!といった好奇心も、その人の「露出」されていない部分を知りたいわけだし。もっとおおきくいえば、「表現」は「露出」を含んでいる。ナイショの部分を「表現」として露出することで、誰かが見たくなるようなものを作っているとも言える。

この「露出」について、善いも悪いも批判も賞賛もあるだろうけど、もとはといえば、露出って「サービス」のような気もする。人と人とが仲良くなるにはある程度の「露出」という表現のサービスが必要な気もしたりする。うーん、もうちょっと考えてたどり着ける場所があると思うんだけど、今はここまで、かなぁ。読んでくれている人で近々会う人がいたら、この「露出」について話してみましょう。ぼくは最近、ストリップにハマってるのも、あれも「露出」の商売でもあるよねー。


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