見出し画像

半袖着る人着ない人

*そろそろ夏に向けて気温が上がってくると、人々の衣服がだんだん薄くなってきて、だんだん布面積が減ってきます。肌の露出が増えると、心の露出も比例して増えると思ってるんだけど、これはどうなのかなぁ。そーゆー研究、ありそうだよなぁ。夏ほど恋の多い季節はないような気もするし、その果てが「裸の付き合い」という、お風呂を共にする行為のようにも思うのです。

いや、そんなことが書きたかったわけではない。夏が近付くと、きっと君の周りで、こんなことを言うやつが増えます。「世の中には2種類いる。自ら半袖を着る人と、他人が半袖を着ているのを見て半袖を着る人だ。」とね。

まずこうして「二分化」してしまえば、たいていのことは二つに分けられるんです。そして上の言い方だと「他人に流されず、自分が着たいと思ったら着ればいいんだよ」みたいなメッセージが、実は暗に隠されていたりもします。ま、言いたいことはわかるよーなわからないよーな気もするんだけど、だとしても半袖を例えに言わなくてもいいよね。

そしてその逆もありそうです。人間とゆー生き物は群生動物なのだから、マジョリティ(言ってみたかった)多数に流されるのが性質だと。誰かが半袖を着ている姿を見て「そーいえば夏だなぁ」なんて気付いたりして、半袖を着ることは往々にあるし、あったっていいと思うのです。

いま述べた2つの考えは、どちらも正解でしょうし、どっちだっていい正解です。要は「あんたがどっちを選ぶんだ?」程度のことでしかありません。暑い!と思ったら半袖を着ることも大事だし、人に流されるのも大事。なんて、両方大事だと言わなければいけないのも、現代の風潮がする〜なんてのも、ややこしいですよね。

もう本当は「どっちだっていい」んだよなぁ。「どっちだっていい」ことすらも「どっちだっていい」とゆーかさ。あらゆることに選択肢を求める脅かしも、あらゆることに自由を謳うことも、僕はどっちだっていいと思ってるし、偏ってもバランスを取ってもいいと思っています。なんだらうなぁ、本当に考えるべきはそんなことじゃないのに、そんなことを考えさせられる不便さもあるとゆーかさ。

なんてどっちつかずの語尾の弱い話を書いて申し訳ないんだけれど。何が言いたかったかって、僕は今日から半袖、着始めたよーってことです。あんたもあんたで、好きにしろよーってことです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?