チップという文化

*優しさや親切といったものの良いところは、やっぱり「行動」ありきで語られるからではないかと思う。ただ内に秘めているだけのものを「優しさ」とは呼ばないし、呼べない。行動して初めてそれは具現化される。半分以上自分に向けて言っているけれど、「こっちだってあれこれ考えてるんだ!」ってのは、なかなか暴論だと思う。どれだけ考えようが、ひとつも具現(実現)されていないのなら、それは「ない」ことと等しい。


「愛してるって言ってヨ」なんてカミさんに言われたとき、真に受けて「愛してる」なんていう男は、ばかだぜ。まだ魔が刺して「アイラビュー」なんて言っちゃう方がマシだね。本当に足りないのは、言葉じゃないんだ。言葉であり、表情であり、態度でなんだ。


「言葉にして欲しい」ということばの枕には「(態度にできないんなら、せめて)」という枕がつく。言葉は、最終手段なのだ。だってそれは誰でも発することができて、誰が発してもほとんどの場合は同じ意味になるのだから。ただ、今目の前で、彼女をきつく抱きしめることができるのは、目の前にいるアンタだけなんだぜ。


言葉にすることをおろそかにしろ!って言ってるわけじゃない。ただ、たいてい、言葉を求められたときは、態度が伴っていないことを忘れずにおきたい。そして必要以上に飾り立てた言葉は、言っている本人すらも貶めてしまうものだ。本当に求められているのは証言や言質ではなく、言葉の先にある想いで、それが一番伝わるのは「姿勢」や「行動」といったアクションなのだから。そしてそれらを、身内の人ほどおろそかにしちゃったり、外でやるような当たり前のサービスや礼儀を欠いちゃったりしちゃうんだよなぁ、人間ってやつは。

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