50人以上のJリーガーを輩出する熊本県立大津高校・平岡総監督のやり方
少し前の記事になるが、目に留まったのでストックしておいた。部活動における体罰問題は、令和の世の中でもちらほらと出てくる。人を指導する、人と人とが関わる環境において、暴力をコントロールすることの難しさを表している。
「人を殴るなんて」「体罰はいけないことだ」などと言うは易しだが、実際の現場でそれが行われているのは、何かしら構造的な問題があるから。先生と生徒の力関係、閉鎖的な空間、勝利する目的を達成するため。部活動が本来、何のためにあるのか、当事者でもわからなくなっているのかもしれない。
自分が殴られて育ってきた人が、それを反面教師にして殴らずに指導できるかというと、案外難しいのではないか?それは、そういうやり方しか知らないから。もし、他のやり方を選択するとなると、自分でいいやり方を調べて考えて実行してみる、もしうまくいかなくても別のやり方を試して結果を見る。こういうプロセスを踏むことは思いのほか、面倒なことと思える。特に、自分のほうが明らかに優位な立場にいる場合、それが正しいと思えば思うほど、率直なやり方を選んでしまいそうだ。
この記事の先生は、本当にすごい。220人もいる生徒ひとり一人に声を掛けるのだ。記事中にあるように、それは1秒くらいのことかもしれないが、それでも直接声を掛け続けるのは、本当に大変なことだと思う。もちろん、本人はそうするべきだと思ってやっているから何とも思っていないかもしれない。しかし、全員が全員、こんなやり方を取れるだろうか?というと、決してそうではないと思う。やっぱり、口で言うより難しいことなのだ。
これくらいの大局観がないと、おそらくこういう指導はできない。短絡的に目の前の結果を求めてしまえば、指導者にそんな余裕はなくなってしまう。そうしないための組織づくりであったり、指導者育成であったり、どういう環境ならいいんだろうかと考えさせられる記事であった。
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