壮大な社会実験

先週末、2年ぶりにFUJI ROCK FESTIVALが開催された。開催地は新潟県の苗場スキー場。あれ、フジロックっていうからには富士山の近くじゃないんだっけかと思ったが、1997年の第1回だけが山梨県富士天神山スキー場で行われたらしく、あとは東京→苗場と開催地を辿っているようだ。

7月にイギリスでも野外フェスを行っており、参加後に1000人程度がコロナで陽性になったようだ。4日間計で10万人超の入場者があり、その中で1000人、割合にして1%。これを多いと見るか少ないと見るかは、判断が難しいところだ。ワクチンは接種済みだったようだが、マスクはしていない。もちろん、フェスが行われなければ感染が広がることがないのは百も承知だが、経済を元に戻していく過程において、一種の実験的開催でもあったのだろう。

翻って日本はどうだろう。今のところ、フェスに参加後の陽性者は確認されていないというが、さすがに0で済むとは思えない。やっている時点で、完全に抑え込むというのは、リスク管理の考え方からして非現実的と思われる。日本でもこうしたイベントを開催するにあたり、どの程度の感染が広がったか?というデータを取っていくことが重要と思われる。いつまでも、今のままの世の中が続くとは考えたくないし、徐々にコロナ以前の世界に戻したい気持ちはどの人も同じであろう。だから、こうしたイベントも「社会実験」の側面をきちんと押し出せばよかったのではないかと思う。

我慢している人がいるのに、好き勝手なことをしている人がいて許せない。そう思う気持ちもわかる。自分もコロナ禍以降、外出も相当控えているし、遠出もしていない。しかし、それは各人のリスクの考え方であって、リスクをどこまで許容できるかということである。もちろん、感染対策をせずに歩き回った結果、ただでさえひっ迫している医療に負担を掛けるのは絶対に避けたい。それでも「何を」「どれくらい」したら感染のリスクがあるのか?というのは、定量的なデータがほとんどない。「人流を減らす」というメッセージもとても定性的なものに思える(たしかに「5割」と言っているが、では、5割減らした結果、どの程度効果があるのか?というのは語られていない気がする)。

イベントを中止するということは、その業界で働いている人の働き口を奪うことにも繋がる。技術も失われる。失われた技術が簡単に戻ることはないだろう。だからこそ、この情勢でイベントを開催する意味をはっきりと示すべきだった。すべての人に理解されるのは無理だとしても、一人でも多くの人にわかってもらえるような伝え方があったのではないかと思う。

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