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技術が進歩しても

隣の芝生は青く見えるというが、自分のいないところの設備や見た目などは羨ましいなと思うのは人間の性なのかもしれない。そりゃ誰だって、よりよいところに住みたい、より快適なところで働きたいと思うものだ。

ただ、便利さや快適さがもたらすものとしては何もいいことばかりではなく、自分の頭で考えなくなるという側面もあるようだ。簡単にできていたものが、機械の不具合などでできなくなってしまうと、それ以上、何もしようとせずにただ機械の復旧を待つのみになってしまう。一方で、大した設備を持ち合わせていない場所では、様々な工夫を凝らし、何とかその場をしのいでしまうということもあるそうだ。どちらがいいかは一概に言えないが、自らの頭を使うという点では、ちょっと不都合があるくらいのほうがいいのかもしれない。

テクノロジーの進歩には肯定的な立場だが、それによって頭を使わなくなってしまうのは悲しいことだなとは思う。昔の人は、何もないならないなりにどうにかしていたことがたくさんあったのだと思う。もちろんPCがあるから、スマホがあるからできることもあるように、昔にはできなかったことができるのもまた然りである。

どんなに技術が進歩しても、それを使うのは人間なのである。だから、使う状況を考えたり、その裏にある技術について想像したりすることは、ずっと必要なことだ。技術に助けてもらうならば、人間はもっと違うところでその力を発揮しなければ意味がないよなと思っている。

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