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自由はつらいよ 〜セミリタイア もなかなか大変〜

多くの人は「自由に生きたい」という気持ちを持っています。

様々なしがらみから解放されて、自由になりさえすれば全ては解決すると思っている人もいるかもしれません。

しかし、同じように多くの人が、案外自由はつらいものであることに薄々気がついています(無自覚であることも多いです)。

自由に生きるとは

自由に生きるとは、自分を縛ったり制限するような古い慣習や考え方や権威に従うのではなく、自らの考えで生き方や行動を決めて、自分で道を切り開くことです。

その生き方を続けていくには、様々な葛藤や悩み、決断が必要になります。孤独や孤立を感じることも多いでしょう。多くの人にとって孤独や孤立はなんとしてでも避けたいことの一つであるため、自由はつらいのです。

自由からの逃走

そういった自由のつらさについて心理学的な側面から明確に指摘した本がエーリッヒ・フロムの名著「自由からの逃走」です。1941年に刊行された本で、ドイツ人がナチのような集団を「受け入れてしまった」理由を、人々の心理から研究した本です。

フロムがこの本の中で書かれていることの一部分を大胆に要約してしまうと以下のようになります。

・人間が最も恐れているのは孤立することである。
・しかし、そのことを意識していない。
・人間は自由になればなるほど、心の中では強い孤立感や無力感に襲われることになる。そのため、意識上では積極的に自由を求めていると信じているが、実際には孤立の恐怖から逃れるために自由を求めるより、自由から逃れることを選んでいる。
・人間には、この自由を求める気持ちと、自由から逃れて誰かに支配されたいという気持ちの二面性がある。

自由になりたい気持ちと支配されたい気持ちが同時に存在している

こういった自由に対する二面性は、少し考えてみると日常の小さなことの中にも起こっています。

例えば今日の夕食に何を食べるか? ということですら、自分で食べたいものを決めたい気持ちと、誰かに決めてもらったほうが楽でいいという気持ちが存在しています。

今晩のおかずを決めることですら自由に対する二面性があるのですから、自分の生き方、働き方を選ぶ際にも、同じように自由に対する二面性は存在しています。

自由に生きることは素晴らしいことですが、自由に生きることはつらいことでもあるのです。つい誰かに頼りたくなったり、何かの基準を求めてしまうのも仕方がないことです。

セミリタイア は思っているほど楽なものではない

私が専門としているセミリタイ生活も、つい、何にもしばられない自由な生活を想像して、全てが解決されてバラ色の生活のように考える人もいらっしゃると思います。

しかし、今までの話から察しの通り、リタイア前に思っていたほどセミリタイア 生活は楽な生活ではありません。

フロムの言う通り自由に孤独がつきものであるのならば、リタイア生活には自由がある分、孤独は避けて通ることができません。つい、誰かに頼りたくなったり、リタイア生活に何かの基準を求めてしまうことは仕方のないことです。

だったらセミリタイア なんてやめて働けばいいじゃないかとも思うのですが、そこは自由に生きるバランスと孤独を癒すバランスを自分で折り合いをつけてやっていくほかないのです。実際、私自身も自由の重圧に耐えきれず、セミリタイア生活を諦めた一人でもあります。

そう考えると、リタイア生活にも、リタイアをしない生活にも、どちらが正解とか不正解というものはないように思えます。今日の夕食のおかずを自分で決めるのも、誰かに決めてもらうのも、そのどちらにも正解はないように。

様々な矛盾の中、どうやって折り合いをつけながら自分らしい生活を作っていくのか? そのことが人生に求められていると思います。


紹介したフロムの「自由からの逃走」には、まだまだ紹介しきれない部分がたくさんあるので気になった方は本を読まれてみてくださいね。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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