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人間の値打

頭脳も容姿もぱっとしない子供が、必ずしもスポーツや絵の才能を秘めているわけではありません。

だからといって、少しも怪しむにはあたりません。

むしろ欠点を補ってあまりある美点が、きっとどこかに隠されているはずだと考える方がよっぽど不健全で怪しいと思います。

二人の人間がいれば、必ず優劣美醜の差は存在します。

主観的差異くらいではとうていごまかしきれないほど、人間一人一人には遥かに大きな客観的差異が存在しています。 

#人間の値打 には能力や容姿もふくめて、大きな差異があるのがあたりまえで、そんなことは子供の目にも明らかで隠しようがありません。

汚らしい老人二人 #文鮮明 #喜多川擴 の犯罪を何食わぬ顔で、見て見ぬふりをすることによって幇助していた #自民党 議員 自民党 #支持層 #報道 関係者 #ジャニーズ タレント #TV局 関係者 #スポンサー企業 関係者 などは、どう考えても #援助交際 で小遣いを稼ぐ頭の足りない少女達以下の存在であろうと考えます。

麻生 岸田
滝沢秀明 喜多川擴
東山紀之
井ノ原快彦

本来なら彼等は、残らず全てが犯罪幇助の罪を問われるべきところですが、それ以前に法律の裁きを待つまでもなく、日本の #有権者 #消費者 の信を失い、日本社会の表舞台から退場せざるを得ないはずなのです。

然るに、日本の有権者や消費者がこんな薄汚い恥ずべき犯罪幇助者共を半世紀以上にも亘って( #公然の秘密 として)、日本社会の表舞台に蔓延られせ続けることに絶望した #山上徹也 が、もはやこうなれば手製の銃で #韓鶴子#安倍晋三 を撃ち殺すほかに恨みを晴らす手段がない…と考えてしまったとしても、まったく不思議ではありません。

人間にもピンからキリまであるという事で、 こんなあたりまえな事を慎重に避けて通ろうとするから子供に何も教えることができなくなります。

世の中にはあきれるほど高潔に生きている人もあれば、人間のくずとしか言い様のない最低の輩までが存在しています。 

#夏目漱石 はこう言っています。
「総括すれば快不快の二文字に帰着致します。好悪の二字に落ちて参ります。即ち善に逢って善を好み、悪を見て悪を憎み、美に接して美を愛し、醜に近づいて醜を忌み、壮を仰いで壮を慕い、弱を目して弱を賎しむの類であります」

現代人の最大の勘違いは、善を好み、美を愛し、壮を慕うのは、まあいいとしても、悪を憎み、醜を忌み、弱を賎しむ、という後の半分は、ちょっといけないことのように感じ てしまう点にあります。

今日の小学校では、人を軽蔑するのはいけないことであるかのような誤解を子供に植えつけています。

人を尊敬することがある以上、軽蔑することもあるのが当然です。

腰の退けた教師達は言います。

「何が善で何が悪か、何が美で何が醜か、などとは一概に言い切れるものではない」

「何事によらず、先入主を持ってのぞむのはよろしくない」

そうだろうか、人間が生きていく上で人や物事に対し、快不快、好悪の感情を抱くのはごく当然なことで、むしろいつも #ニュートラル #中立 な状態でいるように努める、という方が極めて不自然であろうと思います。

生きるに値しない軽蔑すべき人間なら、いくらでもいます。

だからといって、むやみに危害を加えていいはずがないのは、法秩序の問題であって、軽蔑すること自体が悪いわけではありません。

軽蔑すべきは、腹の底から軽蔑することを教えないで、いくら子供達に愛だの優しさだのと言ってもはじまりません。

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