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21日目 1番じゃなくてもいいんです。

急に寒くなりましたね。外に出るのもキツいので今日はブログのお話し。

ジャンルをお笑いに絞った理由

僕のブログ「笑いの壺売って〼」はお笑いに特化したブログです。
高校時代に放送部に所属していた僕には同期がいませんでした。
僕の学年は僕一人。

小学校時代にダウンタウンに憧れ中学では放送委員会で委員長をし、高校でも放送部に入ろうと決めていました。同学年は誰が入ってくるんだろうと思ったら誰も入ってこなかった笑

気が合った二人の先輩

僕と気が合った先輩が二人いました。一人はローカルラジオ局でボランティアDJをやっていたS先輩。僕が間違ってS先輩のMDを消してしまったが怒らなかった優しい先輩でした。

もう一人O先輩。うちの高校の頭のいいコースに行ってたけど俺とは真逆で行動力がとてもある先輩。一年後初めて学園祭にお笑いLIVEを見に行った先輩。

3人でいつもお笑いについて語りあっていました。当時は土曜日も午前中授業があり、午後は部室に集まり昼食も食べずに夜までお笑いのはなし。

一番遠いS先輩の終電まで顧問が帰ろうが学校の鍵が閉まってようがずっとお笑いの話をしてました。

共通の話はナインティナインのオールナイトニッポン

毎週木曜日深夜の番組だったので金曜夜はずっとオールナイトの話、時間が足りないので土曜日もまたオールナイトの話夜になるまで。

だから当時僕は誰よりもお笑いの知識に関しては自信がありました。深夜のお笑い番組は片っ端から録画してたし、みんなが知らない芸人さんもたくさん知ってた。

なんとなくお笑い愛が薄れてた大学時代

大学は関東の大学に入学しました。関東なので東京のTV番組はほぼ全部録画できて見られることに最初はテンションが上がっていたが、多すぎる。時間が足りないのではなく当時一人暮らしの自分には時間があまり過ぎていた。

少し飽きていた。オンエアバトルも見るのを辞めていたし新しい波8もなんで香取慎吾がMCをしているのかがわからず、見ない回があった。それでもお笑いが好きだったが完全に熱は冷めていた。

地元に就職お笑いは相変わらず好きだった

僕は地元企業に就職した。高校の時は放送作家になりたかったが大学の時はそんな気持ちは1ミリもなかった。お笑いは見るものだと思ってた。

しかし、少し環境が変わった。少なからずお金を持てるようになった。お笑いLIVEというものを生で見たり、東京に観にいくこともできるようになってお笑いがまた好きになっていた。

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