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"一姫二太郎"にモヤモヤする話

2回めの投稿です!
スキがもらえると嬉しいですね。
読んでくれた方ありがとうございます!

さて今日は子育てについての話です。

先日、第2子となる男の子が生まれました!
とってもとってもかわいい。

我が家の第1子は、3歳7か月になる娘です。
この子がとんでもなくかわいい。
親バカと言われますが、贔屓目無しに本当にかわいいんです。もう天使。

よく「男親は娘が可愛くて、女親は息子が可愛い」みたいな説を耳にします。

めちゃくちゃ可愛いと思ってる娘の後に産まれる男の子を、自分はちゃんと可愛いと思えるのか…?
なんて、ちょっとビビってましたが、そんな心配は全く必要ありませんでした。
2人目の男の子もめっちゃ可愛い。

いろんな方に、出産や妊娠を報告する会話のなかで必ずでてくる質問がこれ。

「性別はー?」
「おとこー?おんなー?」

僕が「男の子です!」と答えると、
多くの人が「よかったねー!」とポジティブな返しをしてくれます。

なぜかこれにすっごいモヤモヤしてました。

基本的には「おめでとう」の流れの会話の中です。
祝ってくれてる相手に対して、なぜ自分はモヤモヤした感情になっているんだろう?何様??

と、複雑な感情。
これを掘り下げて言語化してみようと思います。
お付き合い下さい。

"一姫二太郎"への抵抗感

前提としては、相手もそこまで深く考えてないってのはあると思います。

興味本位で性別を聞いただけで、「祝!」モードの会話を成り立たせる為に、なんとなーく「よかったねー!」って言っているだけという場合がほとんどです。

それでもたまにモヤモヤするのは、「よかったねー!」の行間に、「(男の子で)よかったねー!」を感じてしまうのが原因の1つのような気がします。

世の中には"一姫二太郎"という言葉があります。
平たく言えば、「子どもは男女どっちもいた方がいい。1人目が女の子、2人目が男の子が育てやすくて理想的」というニュアンスの慣用句ですね。


周りの知人友人親族の多くは、我が家の第1子が女の子というのを知っています。
娘が産まれた後に結婚式を挙げたし、差入のアイスを片手に、職場の消防署に娘をよく連れて行ってました。
インスタでは娘の動画に友達がいいねをくれるし、娘とお菓子を買いに田舎のスーパーに行くと職場の先輩に会うのも日常茶飯事です。
つまり僕に娘がいるのはまあまあ認知されてます。

第2子が男の子だったので、図らずも"一姫二太郎"になった我が家。

性別を答えた直後の文脈ということもあって、その事に対して「(一姫二太郎で)よかったねー!(嬉しいでしょ?)」と言われてる気がするのです。

ここで浮かぶのは、果たして誰もが"一姫二太郎"を望んでいるのか?本当に理想的か?という問題です。

答えはもちろん、「人それぞれ」です。

確かに「男の子も女の子もどっちも欲しい」って人は体感的に多いような気もします。でもみんながみんながそうじゃないですよね。
「男の子だけでいい」「女の子だけでいい」って人もいれば「どっちでもいい」人もいるでしょう。

僕自身も心の底から「どっちでもいい」と思ってました。男の子だったらスポーツとか一緒にできたら僕は嬉しいし、1人目のようなめちゃくちゃ可愛い女の子がもう1人生まれてもいいなーと思ってたし。

周りには素敵な男だけ兄弟、女だけや姉妹の家庭もいーっぱいいますしね。

そこで「(男の子で)よかったねー!」と言われると、何とも素直に喜べずモヤモヤしているのかもしれません。

かといって、「いやいや僕は男の子でも女の子でもどっちでもよかったんですよー」って訂正するまででもないし、そんなちょっと否定をはらんだ優等生発言も確実に違うし、余計モヤモヤ。

もし「女の子です!」だった場合はどんな展開が広がるのでしょう。デリカシーと僕との信頼関係の濃さにもよりますが、「残念だねー」とか「じゃあもう1人いくの?」とでもなるんですかねー?
むしろ、その方が堂々と自分の考えを言えてすっきりするかも。

あとは、育てやすくて理想的っていう側面に関しても、ほんまかいっ!?と。
確かに寝る寝ない、泣く泣かない、ミルク飲む飲まない色々あると思いますが、それって本当に性別の相関はあるんか?と。
"一姫二太郎"だったパターンと、そうじゃなかったパターンのどちらも経験している人なんていないし、そもそも比較なんてできてない迷信のような気がします。

さらにさらに、

"一姫二太郎"の言葉の中に、男の子の誕生が喜ばれる時代の残り香もほんのり漂っているようにも感じます。
時代背景として、かつては長男が家を継ぐ、土地を継ぐという考えもあったのかもしれません。
でも、いまや生まれた子どもが将来どこに住むのか、どんな生き方を選ぶか、誰にも分からない時代。
極端すぎる言い方をすれば、むしろ自分が残す事になるものが子どもの負担にならないか、将来を縛る事にならないかと、不安すら覚えます。

そんな中で、「よかったねー!」の一言の裏に、大きな主語で括られた迷信=世間で理想的とされる仮説を盲信してぶつけらている感覚がしてモヤモヤしてしまってるんだと思います。

そもそもの話になってしまいますが、生まれてくる子の性別なんて選ぶことはできません。
自分でコントロールできない結果に対する評価が下されているような感覚もほんのちょっと嫌な感覚があります。
決められない事象に理想的もへったくれも無いでしょ。

結局のところ、これです。

子どもの性別なんて、どっちでもめっちゃかわいい!
"
一姫二太郎"とか言うてくんな!

以上
ヒートアップしてちょっと愚痴ったらスッキリしてきました。
楽しんで子育てしたいと思います!
お付き合いありがとうございました!

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