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からだをうごかすときに"意識"はひつようなのか?

トレーニングの世界では『意識性の原則』といって「対象の筋肉を意識して行うことが必要ですよ」ということを言っている。ストレッチでも「伸ばすところを意識しましょう〜」と言われる。

「これってそうなのかなぁ」と、しばらくのあいだ悩んでいる。今だに答えには至っていないけれど、なんとなく道筋は見えてきたような気もするから書いてみる。

まず言葉から。「意識・意思・意志」が気になる。つまり、運動をするときに「意識を働かせる必要があるのか」「意思をもったほうがいいのか」「意志の力でやり通した方がいいのか」など、心構えのような態度を示したほうがいいのか、ということがここ何年か気になっている。



新明解国語辞典(三省堂)にはそれぞれこう記してある。

いしき【意識】
❶自分が今何をしているか、どういう状況に置かれているかが、自分ではっきり分かる心の状態。
❷その事についてはっきりそうだと認識すること。また、その認識。
ーてき【ー的】
そうすればどういう結果になるか(が自分にはね返るか)を知りながら、構わずそれをする様子だ。

新明解国語辞典/三省堂

いし【意思】
❶物事に対する認識や考え。また、何かをしようという思い。
❷〔法律で〕そうしたい(したくない)という本人の気持・考え。

新明解国語辞典/三省堂

いし【意志】
困難や反対があっても、最後までやり抜こう(絶対にすまい)という、積極的な心の持ち方。
ーてき【ー的】
接する人に意志の強さを感じさせる様子だ。

新明解国語辞典/三省堂

こうやってみると、トレーニングの原則で使われている『意識性の原則』はたぶん【意識】のことを言っている(意識という言葉を使っているから当たり前なんだけど)ことがわかる。

でもトレーニングの現場で行われているのは、
【意思】❶何かをしようという思い。
が、強いように感じる。つまり、「今から〇〇筋を意識します」という【意思】を働かせているような。

実際の【意識】は、
❶自分が今何をしているか、どういう状況に置かれているかが、自分ではっきり分かる心の状態。❷その事についてはっきりそうだと認識すること。また、その認識。

だから、
頭から身体に対して指令を送る行為ではなく、身体を動かしている自分がどういう状況に置かれているか、はっきりと分かる心の状態にあることが"意識できている"ことになる。

今日はここまでにしておきます。
芋づる式につながりそうでこわいけど、自分の中にある疑問をからだから引っ張りだしたい興味もある。明日つづきを書けるかな。

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