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武術研究家 甲野善紀先生を知って、刺激を受けたこと

先に断っておくが、僕は全く武道はやったことがない。

それに加え、甲野善紀先生を知ったのは、つい先日である。(本当に昨日知ったw)

故に、僕の認識や感じ取り方はまだまだ浅く、何も知らないに等しいが、物凄く感銘を受けて書かずにいられなくなった。

昔からテレビでは何度か拝見したことはあったが、どのようなお方なのかは全く知らなかった。

ある動画の中で、甲野先生はこう仰っていた。

「現代人は、教わることで多くのものを失っている」

教わることには落とし穴があると仰っていた。

それに関しては、僕が昔から感じていたことで、今の日本の教育というのはどこか、敷かれたレールに乗ることが正しいことで、それ以外は全て悪であるというような風潮を感じていた。

もしくは、全てがマニュアル化をされ、全員が全員こうあるべきである。というような謎の圧力みたいなものも感じる。

動物は産まれた時から、本能でお腹が減ったら泣き、眠たくなったら寝る。

親がやっていることを見て学び、自然とそれを実行していく。誰に教わるでもなく、本能がそうさせているのだ。

だが気がつけば、色々な所からその本能の部分が機械化や効率化により、目の前に答えがある状態になり、先人達がやってきたルートを最短で出来るような世界になっている。

これが悪いことだとは思わないのだが、弊害として、何故それをやらなければいけないのか、それをする為には何が必要で、どのような手順を踏むのかを、自分の頭で理解し、どうすればそれを上手く行うことが出来るのかを考えて実行しているというより

「そっくりそのままやることが正しい」

という風になっているような気がする。

これには答えはないはずなのである。

科学的にはこうである。という答えはあっても、それを機械のように全てをそのまま実行出来る人間はいないはずである。

なぜなら、人の身体、筋力、考え方、力の伝え方、神経の使い方、性格などなど挙げればキリがないほど千差万別であるからだ。

成功した例であったり、科学的な答えというものは確実に存在すると思うが、そこまでのアプローチや感覚というのは人それぞれで必ず違うはずである。

人生というものには、先人や先駆者達、科学者達が残してくれた、ありがたい成功例や、実行例、科学的な答えというものは存在するが、そこまでのアプローチと実際にそこに辿り着くまでの道のりは無限にある。

ということを学んだ。

しかし、突き詰めていった先には、誰も通ったことのない道を歩むことになり、それを永遠に探し続けるものなんだとも同時に思う。だからこそ、人生は答えのないものになるんだとも感じるし、逆に言えばゴールを作ってしまった時は、それは人生が幕を閉じることになるのではないか。と今は感じている。

この考えもまたいつかは変わるかもしれないが、少なくとも今の自分にはそう感じ取ることができた。

本当に人生とは難しいものだなぁ…

簡単じゃないから楽しいんですがw



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