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すこやかな身体とはたけ~自然農と東洋医学のおはなし 【連載3日目 なぜ自然農は肥料を上げないのに野菜が育つの?】

コラムニスト
野見山文宏 (のみやま ふみひろ)


こんにちは、伊豆で自然農を営んでいる野見山です。

● 前回は自然農のお家芸「草マルチ」を、ご紹介しました。
~ やっかいな草を活かし、マルチや保湿、肥料として味方にするのが
自然農
~ やっかいな熱を活かし、免疫を活性化するのが東洋医学・・・でした。

言い換えると。これは「リサイクル」とも言えます。厄介者を排除するのではなく、少し形や方向性を変え、またもとの循環に戻すこと。
この思想は自然農や東洋医学の特徴である「まるごと癒す=Whole/Heal」という概念を考えるうえで、とても大切なことなので、また別の機会に深掘りしたいと思います。


●植物の成長に栄養は不可欠なのに

さて、今回のテーマは「なぜ自然農は肥料をあげないのに野菜が育つの?」

普通に考えたら不思議ですよね、私たちの成長には糖質・脂質・たんぱく質・ミネラルなどの栄養が不可欠で、それらを食事として補うように
植物の成長にも窒素・リン酸・カリウム・ミネラルなどが不可欠で、慣行農法ではそれらを肥料として施します。

ではなぜ自然農では肥料を使わないのでしょう?ケチなの?

● 自立する畑・持続可能な畑

いえいえ、そこには自然農のユニークな思想と戦略があるのです。
その思想は、過栄養がもたらす生活習慣病の増加や、餌を与えられることに慣れきって、自らの生きる力を失ったペット・・・など視点にもつながります。(うぅ~自分で書いていて耳が痛い…笑)
 
なにより自然農では、慣行農法と較べ収量は少ないけれど、肥料に頼ることなく持続可能な野菜作りが可能です。(※化学肥料のほとんどは輸入に依存しています)
 
では自然農ではいったい何が行われているのか?その秘密を明らかにしていきましょう!



● なぜ雑草はほったらかしでも生えてくるのだろう?

畑をお持ちの方はいうまでもありませんが、ちょっとしたお庭や空き地があれば「雑草の管理」ってとても大変ですよね。ちょっとほったらかしにすると、あっという間に草に覆われてしまいます。
 
ほったらかしにしていただけなのに・・・そうなんです、肥料も水も、何の管理もしなくても雑草は生えてくる!それが発想の転換の第1歩です。

つまりこの場には、それだけの草を生やせるポテンシャルがあるという事ですよね。日照や降雨量、土壌に含まれた栄養や、無数の微生物の作り出す栄養素・・・細かく分析してデーターで出さずとも、「とにかくこの場で、この種類の草は育つのだ」ということを、草が教えてくれているわけです。

● 草に教えてもらう 自然を真似する

ならば「そこに生えてくる草と同じような種類の野菜を、その草が生えるような時期に育てたらいいじゃないか!」というのが自然農の戦略です。自然が教えてくれる通りに真似をする。これが肥料なしでも野菜が育つ秘密の1番目です。

例えば、そこにイネ科の萱などがよく育っているのなら、イネ科のライ麦などがよく育つでしょう。マメ科のカラスのエンドウなどがよく育っているなら、マメ科の大豆やグリンピースなどはよく育つでしょう。もちろん少し工夫が必要ですがベースにあるのはそのような考え方です。


● ヤンチャがスポーツに打ち込んだら活躍するような

肥料なしでも野菜が育つ2つ目の秘密は、草マルチにあります。
例えが適切でないかもしれませんが、学生時代のヤンチャ軍団が、スポーツに打ち込んだら大活躍するようなことって多いように思います。(当社比)
ラグビーの平尾さんや大八木さんのエピソードは有名ですよね。
 
高いポテンシャルを持つ、そのエナジーの方向性を、暴れるのではなく、スポーツや仕事に向けるようなこと。

自然農では、前回お話しした「草マルチ」がそれにあたります。
草が生えてどうしようもない → どんどん生えてくる草のエナジーを、草マルチに変換することで、野菜を育てる肥料に活かすわけです。

● ECOとEGOの折り合いをいかにつけるか?

でもここまでの話を聞いて、自然に沿うならば「自分の好きな野菜を、好きな時に育てられないのですね」という疑問がわくと思います。

答えはYesです。極端な例でいうと、熱帯産のパパイアを真冬の雪国で育てようと思っても無理なわけです。どうしても育てたければ温室で重油を焚いたり、自然ではないこと(=頑張る)必要があります。それは持続可能ではないよねというのが自然農の立場です。

ECO(自然のありよう)とEGO(ワタシの都合)をどう折り合いをつけるか?という点において、自然農や東洋医学は、自然のありように出来るだけ添うことを選択します。だって自然にはかなわないのだからと。(これは老子やスピノザ哲学にもみられる思想です)

対して「ワタシの都合に合わせて、なんとか自然をコントロールしよう」というのが、慣行農法や現代医学の思想だと思います。

どちらにも一長一短があり、両者の相補が必要ですが「持続可能か?」という点において、重油や肥料を使い続けるような、外のチカラを借りて頑張り続けることには、無理があるよな~と感じています。

跂者不立、跨者不行。跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。(老子)


(パパイアに見えますが、かぼちゃです)

● 過剰介入の弊害

とはいえ、もちろん草も生えないような土地で肥料を施さないわけではなく、必要なら油粕や米ぬか、灰などを肥料として使います。
目標は野菜を育てることなのですから「肥料はダメ!」みたいな禁欲主義ではなく「必要な手助けは行い、必要ないなら出来るだけ自然の成り行きを見守りましょう」という態度をとります。
 
介入というのはほんとうに難しいものです。それは子育てや会社の人材育成で、多くの人が経験していることだと思います。余計なおせっかいって、ろくなことないですよね(笑)同じことが野菜や畑にもいえます。

私たちの身体でも過剰な栄養の採りすぎは、糖尿病や脳血管障害を引き起こし、様々な病気や免疫力の低下を引き起こすことが知られています。
おなじように、畑も過剰な肥料を投入すると、土中の生態系バランスが乱れ、病気が発生しやすくなるのです。(例えば窒素肥料の多様で、硝酸体窒素が多く含まれた野菜は虫に狙われやすくなります)

● 緑の革命の教訓

カラダにせよ畑にせよ、ECOシステム=生態系とは、機械のように固着したものではなく、絶妙のバランスを取りながらゆらいでいます。そこに外から大きな力で介入することは、生態系を揺るがし、時に破壊することすらあります。
バラスボールに乗っている人を、外から強いチカラで押すと、ある程度の範囲を越えると、急にバランスが崩れてしまうのによく似ています。

短期的には人為的に思う通りのコントロールが出来ても、介入が行き過ぎると揺り戻しがあったり、生態系そのものが破壊されてしまうのです。

そのわかりやすい例が1960年~70年代にインドなどの途上国で行われた「緑の革命」です。化学肥料や、農薬を多用し、科学に基づいた大規模な農業を行うことで、飢餓から脱却しようとした試みでした。

当初は非常に効果をあげ、収量が大幅にUPしました。しかし次第に化学肥料の多用に伴い、土壌の肥沃度が低下し、農薬の多用により生態系が破壊され、病害虫の影響が深刻化しましました。

大切なことは生態系も身体も自然も「複雑系」と呼ばれるシステムであり、機械のように一方的にコントロールすることが難しいのです。


● ならばどうしたらいいの?

コントロールが難しい自然や生態系「じゃぁ、どうしたらいいの?」
その答えは、レヴィ=ストロースが「野生の思考」と名付けた手法や、複雑系科学が明らかにした手法が役に立ちます。何よりもそれこそが東洋医学や自然農が行ってきた手法なんです! 次回そのようなお話をしたいと思います。

(続く)

編集部より

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