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【自己紹介①】わかちゃんてどんな人?

わかちゃんてどんな人?


はじめまして、こんにちは。わかちゃんと言います。

わかちゃんてどんな人?を一言で言うと、”体験モンスター” であり ”実験とプロジェクト大好き人間” です。

あら、二言になっちゃった(笑)。

体験モンスター

学生時代付き合っていた彼と、将来何したい?という会話になったことがあります。わたしはなんの衒いもなく、地球のみんながいつも笑顔で愛と喜びに満ちた星にしたい!と言ったら、そんな夢みたいなこと言ってないで、もっと現実的に自分の足元をしっかり固めた方がいいよと言われ、なるほど確かに自分の足で立てなきゃ何にもできないよなと思いました。

当時のわたしは、足元を固める=経済的自立だと単純に考え、お給料が高くて待遇にも恵まれた大企業に就職します。

それから30年近く。当時のわたしの想像を遥かに超える、スケールのでっかいさまざまな体験をします。

あるときはお茶汲みコピー担当。あるときはアメリカのカソリック系一貫教育校で日本語教師。あるときは日本の地方都市で専業主婦。あるときは出張で40カ国を駆け巡るバリキャリ(死語!)。あるときは病んで療養し、またあるときは大企業のゴリゴリ管理職

国家級の海外プロジェクトで普段はお目にかからないようないろんな国の政府関係者とやり取りしたり、「そんな国あるの?」と言われるような国に駐在していたかと思えば、通常の社会生活の枠からはみ出して心の赴くままにその日暮らしを味わうフーテン(カッコよく言えばジョブレスです(笑))。

いろんな舞台設定でいろんなキャラを演じいろんな物語りの旅を楽しんできました。滑って転んで泣いて笑って、発見して観察して。もう、めちゃくちゃ面白いアドベンチャーです。

結果、「やっぱり地球や自然や人に境界線ってないんだよなぁ」というのを自分の目や肌で再確認した旅でもありました。「境界線が存在しない」は、一貫したわたしのテーマのようで、ことあるごとにそのテーマが浮上します。いつか記事にしたいと思います。

いまのところ、このアドベンチャーストーリーを総称して”体験モンスター”と呼んでいます(笑)。

生きる実験・フーテン期(ジョブレス)

わかちゃん的フーテン期とは、通常の社会生活の枠からはみ出して、心の赴くままにその日暮らしを味わうことです。枠からはみ出す=ジョブレスです。

意図して自分を何にもどこにも所属させない環境に置くことで、自分の魂(※1)にフォーカスする期間なんです。

朝起きて「今日は何しよう?!」と魂の赴くままに生きます。てっきり魂の赴くままと思っていたら、実は本来の自分じゃない思考の赴きだったりするからびっくりです(笑)。

魂の声をしっかり見極めたくて、いま自分の内側がどう感じているかを一つひとつ丁寧に観察します。魂の声は小さいからね。

魂の声を聞く生活をしていると、心が満たされ、尽きることのない泉のように、次から次へとアイデアが湧いてきます。収入のことをさておけば、精神的・身体的に、豊かで創造性に満ちあふれる愛おしい期間です。わたしにとっては、お金で買えない、ものすごく価値ある無形資産なんです。
※1 自分の魂:本来の自分、本質、核

この期間には、考えられることをとことん考えつくし、試せるものをとことん試しつくします。そうしていると、新しい人やコトに触れ、新しい自分の感覚や意識に出会います。とことんやりつくすと、自分なりの姿勢を打ち出すタイミングがやってきます。

自分が満たされ、エネルギーがあふれ出す頃には、ソロ活に物足りなさを感じ、この有り余るエネルギーを地球に循環したいー!ってなるタイプです(笑)。

ジョブレスは怖くない?!

長らく気づいていなかったのですが、振り返れば、過去2回のフーテン期の後には、まるで新しい人生が展開されてきました。

1回目のフーテン(ジョブレス)明け

1度目のフーテン明けは就職氷河期真っ只中。誰もが就職口を探しているのですから、目に見える履歴書に書ける経歴が立派なほど有利です。短大卒で、しかも新卒で入社した大企業をたった2年で退職して渡米し、ボランティアで日本語教師をして帰国しただけじゃ、どの会社からも相手にされません。

当時はいまと違って、婚姻による退職(寿退社という言葉がまだ生きていた時代!)以外の理由で2、3年で辞めることはリスクだと考えられていて、わたしのケースはかなりレアでした。そんなアウェイ感満載の中、海外と取引のあるメーカーに採用が決まります。

2年で退職したことはリスクだけではありませんでした。大企業を自らの意思で退職して渡米し日本語教師になるという当時としてはユニークな生き方、生意気な小娘が独自の視点で見て感じた、人生がひっくり返るようなたくさんの経験をして帰ってきたわたしのことを面白がって、記事にしてくれた記者さんがいました。

その方がわたしの生き方をいたく応援してくれて、3人くらいの人を介してそのメーカーの就職試験を受けられるよう繋いでくれたのです。なんというありがたき幸運!就職したメーカーに在職して数年後、ヘッドハンティングから声がかかり外資系IT企業に転職します。

2回目のフーテン(ジョブレス)明け

2度目のフーテン明けは、大卒就職率過去最悪の時代。望んで専業主婦になりキャリアブランクがあるのに加え、企業がほしがる学歴も実績もない。さらには、パートナーと話し合い信州と東京で遠距離結婚という選択をしていたときだったので、戦力外どころか「意味不明な人」と映ったのでしょう。

履歴書の時点ではじかれ、門戸を開いてくれる会社はありません。アルバイトで生計を立てながら100通近く履歴書を送ること約半年。ようやく外資の食品商社に輸入業務担当の派遣社員としてすべり込みます。

数年後、輸入業務より輸出業務に魅力を感じ、総合商社の子会社に派遣社員として転職します。はじめはお茶汲みコピー担当でした。半年も経たないうちにその会社の正社員になります。最初は一般職、のちに総合職になり、本社に出向して海外プロジェクトを担当させてもらうようになります。

毎日表情を変える生き物のような海外プロジェクトに魅了され、バカみたいに機嫌良く働きまくって数年した頃、本社のキャリア採用の入社試験を受ける機会に恵まれます。当時はキャリア採用という言葉はまだ珍しくて、中途採用と言われていました。当時の中途採用は、純正新卒採用の助っ人みたいな感じで亜流だと言う人もいました。

総合商社の総合職として採用され、世界中を飛び回る物語りが始まります。それから数年後には、所属していた営業部初の女性管理職に任命されます。

何がどうなってんの?!

いま考えれば、フーテン期がなかったらこの展開はありませんでした。わたしの、目に見える学歴や職歴だと、入社試験を受けることさえできない会社です。

当時は、学歴偏重、性別役割分担が一般的な時代。わたしの周りの女性は、新卒入社後、結婚を機に退職を選択するケースか、在職する場合は一般職に就くケースがほとんどでした。わたしのように、何かに挑戦したくて辞めるとか、総合職で海外営業をバリバリやる女性はまだ珍しい時代です。

総合商社時代、周りにはいつも、東大、京大、阪大、みたいな学歴ピカピカ男性ばかりでした。会議のときはいつも紅一点。否が応でも目立ってしまうので、居心地が良かったかと言えば、戸惑うこともありました(苦笑)。

何はともあれ、いったい何がどうなってこうなったのかさっぱりわかりませんが、いまのところ、ジョブレス実験の結果は良好です(笑)

きっとこれも宇宙の采配なんでしょう。なんだかわたしツイテルよね?!神さまありがとうってことで!

*後編へつづく