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愚鈍な奴が搾取される資本主義。


自ら進んで納税する人々。

 「なんだこの行列は…」9日に外出した際、銀行付近に列が出来ていたため、待つのが嫌いな私は不思議に思った。給料日でもなければ、年金の支給日でもない。そもそも年金は偶数月だろう。

 そんなことを考えながら行列に並ぶ人を観察していたら、謎が解けた。宝くじである。期待値にして50%にも見たず、1/3以上もの収益金が公共事業に使われている意味で、一発逆転を夢見る愚か者だけが支払う、事実上の税金に他ならない。

 令和4年度の収益金の使い道を参考に、1枚300円と仮定すれば、140円が手元に戻ってくることが期待できる金額であり、110円は公共事業に充てられる実質の税金。残りの50円が宝くじ事業の経費であったり、広告宣伝費として山◯耕史の胡散臭いコマーシャルに消えていく。

 「夢を買っている」はもはや常套句だが、ギャンブルのイメージが強い競馬や競艇よりも期待値の低い紙切れで夢が見れるのならば、その妄想力を駆使して買ったつもりでさっさと寝れば、ゼロコストで良い夢が見れると思うが、いかがだろうか。

 私みたいに、睡眠中にどうやら夢は見ているらしいが、起床したら全て忘れていて、全く覚えていない人種は、夢を見ても意味がないため、それを買う必要性すら感じない。

 とはいえ、そもそも夢を自力で叶える気がない、他力本願な人間が宝くじなどという実質税金を、喜んで購入している構図は、端から見ると滑稽であり、お金で買える程度の夢であれば、自らの能力でお金を捻出して叶える方が、どう考えても建設的ではないだろうか。

配られたカードで勝負するしかないのさ…

 スヌーピーの格言に「配られたカードで勝負するしかないのさ……それがどういう意味であれ。」とあるが、まさしくその通りである。

 世界人権宣言の第一条に「人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」と記載されているが、裏を返せば尊厳と権利以外のものは平等に与えられないとも解釈できる。

 親ガチャの言葉からも薄々感じ取れるように、自分の人生で配られるカードが軒並みSSRとは限らない。

 むしろエンゼルバンクの名言にもあるように「裕福な家庭に育った子は志に生きて、貧しい家の子は野心とお金に生きる。」前提が正しければ、多くの政治家ですら野心とお金に生きている惨状のこの国で、親ガチャSSRなど見果てぬ夢だろう。

 無論、リセマラもできない無理ゲー故に、多くの日本人は80年そこらの時間だけを足がかりに、金融資本、人的資本、社会資本を増やす格好となる。

 そんな、配られたカードで勝負するしかない中、何で勝負をするのか。突き詰めれば、いかに勝率の高いフィールドで闘うのかを考えるのは、人生戦略として重要であり、期待値が50%にも満たない宝くじが、果たして有用なのかは一考の余地がある。

金融資本に全振りするのは悪くない選択。

 そもそも、ミラクルで10億円が手元に入ったとして、それを上手に扱えるのだろうか。本当に10億円でなければならない合理的な理由があるだろうか。自分の器に見合わないお金を持つと、金融資本、人的資本、社会資本の全てを狂わしかねないのは、高額当選者の末路を見ても明らかである。

 お金があれば多くの選択肢を有することはできるのは事実だが、自分でやりたいことや、叶えたいことをリストアップして、それらを全部叶えたとしても恐らく10億円は必要ない。

 使いきれないお金があると、恐らくは次点で情に絆され、周囲の人間に羽振り良く接していると、次第に金目当てでしか他人が寄って来なくなり、資産を守ろうとして孤独感に耐えられなくなるか、見栄を張り続けて自己破産するのが関の山だろう。

 富が富を生む資本主義社会では、10億円を適切に運用できるならば、資産は増える一方で、減らす方が難しい領域と思われるが、その能力を有する人は、そもそも宝くじなどと言う代物に手を出さず、NISAなどの優遇制度を駆使して、時間をかけて堅実に財を成すだろう。

 そうして愚鈍な奴から搾取されていき、格差は広がり続ける一方なのが資本主義社会であり、経済学者のピケティさんが証明したr>gに繋がっていく。

 人生で配られたカードは、決して良いものではないかも知れない。私も人権がないらしい身長。高卒で社会に出て、残業しなければ手取り13万円。残業しても20万円を超えるか超えないか程度の職にしか就けない、いわゆる底辺プロレタリアートとして、お前が終わってんだよwwと煽られるような出自だ。

 ブルーカラーの肉体労働故に、20代で身体も壊し、既に人的資本は無いに等しい。配られたカードは弱者のそれだろう。

 それでも、大卒よりも4年先に社会に出たアドバンテージを利用して、お金の扱い方を実際に経験しながら学んできたことで、金融資本だけは頭ひとつ抜けることができた。

 良い大学を出て、良い会社に就くという、いかに賃金労働者として良いポジションを取るか的な、学歴至上主義社会の先入観を捨てて、いかに効率の良い資産形成を行うかと、資本主義社会を直接ハックする方針に転換した。

 人はいつか必ず老いて、自分の能力では稼げなくなるのだから、その時のために、自分以外の力で得られる収入を、いかにして確保するかと言うアプローチが、今のところ功を奏して、身体が壊れても詰んでいない訳で、配られたカードが微妙なら、リソースを金融資本に全振りするのは、持たざる者として振る舞うよりは悪くない選択だったと振り返る。


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