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株主優待をギブする精神。

優待券のある生活は三方よし。

 先日放送された「月曜から夜ふかし」にて、優待名人の桐谷さんが年末に株主優待を知人に配る光景を目にして、まるで自分の振りを見ているような錯覚に陥った。

 規模は違えど、普段はコピー機と収納代行でしか使わないコンビニで、誰かと一緒に何かを買う時は、クオカードで支払いを持ったり、一人ではとても使いきれないレジャー施設の利用券を友人と使ったこともある。

 外食に行くときには極力株主優待券を使えるような店舗を選び、大枠は全額優待券で、千円未満などの端数はお釣りがでないため、その部分だけは相手に支払って貰うこともあるが、負担して貰うのはそれ位である。

 優待券を出す身としては、リスクを取って運用しているとはいえ、一切身銭を切らずに外食している感覚に近いため、端数の現金部分も「割り勘でいいか、ウルトr」と半額持とうとはするが、貸し借りを作りたくない律儀な人ほど、高確率で阻止されるため、結局のところ身銭を切って外食する機会は滅多にない。

 身銭を切っていないのに、株主優待券のお陰で相手にギブしていることになっている。相手は普段よりも安値で商品や役務を提供され、企業も閑古鳥を鳴かせる位なら、株主に利用してもらって端数だけでも現金を支払って貰えれば、多少なりとも売り上げが計上できるのだから、誰も損をしていないどころか三方よしの状態である。

 これで「ためしてガッテン」のソースが本当であれば、体内の炎症物質が減って長生きできるらしいが、私は同世代比で桁違いな金融資産を保有するようになり、他者に分け与えられるだけの優待が手に入れるようになってから、ストレスが原因で内臓を悪くして入院と手術をする羽目になったため、ギブの効果以上に労働で晒されるストレスが多過ぎるようだ。

 結果として、労働は主にクソであるという、いつもながらの結論に至った。そもそも体内が炎症を起こすような状況に晒されているようであれば、他人に親切にする前に、根本の原因を排除した方がどう考えても効果がありそうなため、来春には早期退職するつもりで着々と準備を進めている最中である。

優待廃止のトレンドは留意。

 いくら優待がお得とはいえ、使わなければ意味がないし、消化が追いつかない規模になってしまうと、そもそも有価証券を保有して、リスク資産として運用する必要性があるのか疑問に思う部分はある。

 私も以前は銘柄数は多ければ多いほど良いと思い、50銘柄近く保有していた時期もあったが、最低でも四半期毎に確認したい保有銘柄のIR資料や、四半期毎に発売される会社四季報に目を通すだけでも相当な労力で、闇雲に増やし過ぎると管理の煩雑さは増すばかり。

 そのため、最近では短期的な株主優待目当てではなく、長期的な利益が見込める業績の良さや将来性などを基準に、30銘柄以内に抑えられるように徐々に銘柄を整理してまとめている。

 そうすることで、副産物的に昨今の優待廃止発表後の、投げ売りによる株価下落のリスクを排除することにも繋がっている。JTやオリックスなどの企業が優待廃止を発表しており、東証再編に伴い必要な株主数が減少したことや、株主還元の公平性を確保する観点から、このトレンドは避けられないと踏んでいる。

 そのため、極力あったら嬉しいが、なくても高配当で保有するであろう、おまけ程度の優待銘柄の保有に留め、仮に優待廃止で予想以上に株価が下落するようであれば、元々高配当狙いで、優待廃止でコストが浮いた分だけ増配が見込めるため、積極的に買い増す作戦であり、個人的には消化が追いつかなくなるほどの優待が贈呈されることは、もうなさそうだと勝手に思っている。

寄付文化がないからこそ、優待を分け合う。

 それでは何故、他人と一緒に居る時に積極的に使うかと言うと、自身の性格に依る部分が大きい。

 少年時代にゲームをするにしても、全回復できるようが入手が限られる神アイテムほど、最後の最後まで使用せずに温存してしまうものの、いざ最後になると使わずに終わらせてしまい、結果として使い所を失うケースを何度も体験している。

 このことから、自分ひとりでは優待をアテにして生活することはなく、今すぐに必要なものが優待券で買える場合を除いて、いざという時に身銭を切らないように、期限ギリギリまで優待券の類を取っておいてしまう悪癖があり、期限切れ間近になって欲しいものがなければ、酒でも買って消化するのが常である。

 そんな最終手段で買う酒も、肝臓の処理能力的には飲める部類だが、常飲するほどアル中ではないため、必ず優待券や期間限定ポイントなどが消化できない時に、最低でも消費税や酒税部分は身銭を切らない範囲でしか買わない趣向品であるため、正規の価格で全額支払ってまで購入することはなく、あれば飲むが、なくても別に困らない程度の位置付けである。

 つまり、自分ひとりでは必要に迫られなければ、株主優待すら使わない程度に仙人紛いな生活をしていることを自覚しているが故に、例え独り占めして豪遊しても誰からも文句を言われない優待であっても、そうはせずに仲良くしてくれる人に、優待券を消化しては親切心を醸し出して聖人を装うのである。

 寄付文化が根付かない日本社会ではあるが、贈呈された優待を他人と分け合うなら心理的ハードルは低い状態で、利他による幸福を体験できる手段のひとつなのかもしれない。


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