働くと罰金まみれ。働かないと賞金。
20年先を行ってた「働いたら負け」
「働いたら負けかなと思っている」は、2004年にテレビ番組で放送された、通称ニート君へのインタビューの発言を発端に、ネットミームとして流行したものらしいが、リアタイ世代ではないため、どうしても他人事になってしまう。
そんなニート君のネットミームも、来年で20年の節目を迎え、年金問題、少子高齢化に伴う国民負担率の上昇といった社会構造の変化により、この言葉が的を得ているような日本社会になりつつある。
というのも、ご存知の通り増税メガネがイメージを払拭するための、減税措置検討における素案が、現役世代には4万円の所得減税、住民税非課税世帯には7万円の給付金と、税収増に貢献している層が割を食い、そうではない層が最も恩恵を受ける内容となっていたからだ。
放映当時の時代背景としては、バブルから平成不況となり、失われた10年が20年に延長する最中でありつつも、諦めムードよりも、まだ強い日本を取り戻せる的な共同幻想が根強かったのは、国民的アニメに映し出される中流像からも伺える。
しかし、失われた30年のまま平成が終わり、若年層がこれからの日本社会に希望を見出せない中、2025年から団塊世代全員が後期高齢者となる。
現状のままでは現役世代の税負担が重くなるのは明白だが、人口ピラミッドが逆三角形故のシルバー民主主義社会では、日本社会でマイノリティの若者が束になったところで、1人1票である以上、マジョリティの高齢者に勝ち目はなく、決して選挙で現役世代が有利な政策に変えることはできない。
そんな、街中に溢れかえる高齢者を支えるために、重い税負担を課せられている割に、自分達が支えられる側になる頃には、人口動態から今の高齢者と同じ社会保障はまず受けられない。そんな不公平極まりない無理ゲー社会となっている。
pixivの概要にもあるように、「真面目に働いても報われない」「制度の穴を突いて狡く立ち回る方が裕福に暮らせる」歪な社会構造から、「働いたら負け」がニートを冷笑するネタではなく、ある種のライフハックとして肯定的に受け止められているのが現状で、ニート君の思想は20年は先を行っていたとも捉えられる。
椅子取りゲームとスフィンクスの謎かけ。
現に財務省が発表している国民負担率は、50%をいつ超えてもおかしくない水準の、40%台後半まで上昇しており、この状況がまるで江戸時代の五公五民を彷彿とさせることから、現代がネオ江戸時代と揶揄されることもある。
そんな時代でも、未だに良い成績を取り、良い大学を出て、良い会社に就職すれば、人生イージーモード的な幻想が蔓延る。
安定した人生設計=会社員や公務員的な公式など、トヨタと経団連の終身雇用ギブアップ宣言によって、既に壊れかけていることを薄々分かっていながらも、クソ真面目に就職人気ランキング上位の会社を目指して就活してしまう。
その原因は、自我が形成される子ども時代に接する大人にある。保護者の多くや、学校の先生が典型的なサラリーマンであり、自営業、起業、投資家といった、他の生き方をしたことがないから分からないし、教えられないことにある。
いくら就活という名の椅子取りゲームで、最も安定してそうな椅子を探し求めたところで、そもそも椅子を支える地面がぐらついたら詰みなのが、サラリーマン人生である。
スフィンクスの謎かけに「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。」がある。答えは人間だ。
解釈の余地があるものの、朝が自立する前の幼児期。昼が自立した成人期。夜が杖で支えられる老齢期。と人生を俯瞰で表しているものと捉えている。
この「昼には二本足」の自立は、自活する術を身に付けることである。辛辣に記せば椅子取りゲームの椅子を探して、それにしがみついているだけのサラリーマンは、椅子だけに四本足の域を出ない。
そのうえ自分の足で立っていないのだから、これを自立と捉えるのは無理があり、生殺与奪権が他者に握られた状態では、真の安定は得られない。いかがだろうか。
制度の穴を突いて狡く立ち回る術。
椅子取りゲームという枠組みの中で、どれだけ良さげなポジションを取るか。という発想がそもそも間違っているのではないか。
何のために生まれて、何をして生きるのか。幼少期に観ていたであろう、やなせたかし作品のテーマソングから原点に立ち返ると、別に社会に出てサラリーマンとして働くことが、必ずしも重要ではないことに気づく。
サラリーマンという生き方は、収入源を一箇所に依存し、人生の大部分が束縛されることで、初めて安定が得られる現代版奴隷制度とも捉えられる。
それだけではなくブラック企業、望まぬ非正規雇用のような、決して報われることのない環境に、人生の時間、労力、金銭などのリソースを費やしても、無駄な努力となり自分が潰れる可能性が極めて高い。
当たり前なのが解せないが、会社に言われた通りに働いた結果、自分自身が潰れてしまっても、会社はこんな筈ではなかった人生の責任を取ってくれる訳ではない。それを考えると「働いたら負け」の価値観が生まれても何ら不思議ではない。
日本は富が富を生む資本主義と、弱者救済の民主主義という、水と油のような両者を、無理やり混ぜ合わせたような社会構造となっている。
煎じ詰めると富裕層と低所得者層が優遇され、中流層が冷遇されて没落する構図となり、この歪みを突く。つまり資産を持ちつつも、税制を駆使して表面上は低所得者で居続けることが、狡く立ち回る術といえる。
これにより、馬車馬の如く働く必要がなく、総額にもよるが資産所得で割合良い暮らしが営め、住民税は非課税。国民年金は申請で全額免除。健康保険税も手続きを踏むことで7割減免措置が適用され、最もコスパの良い最強保険に化けるだけでなく、今回のような行政からの手厚い支援まで受けられる。
これが合法的な手段にも関わらず、多くの人がクソ真面目にサラリーマンとして働き、税という名の罰金に塗れている。
自分よりラクして、賞金まで貰えるなんて狡いぞとやっかむくらいなら、自分も働いたら負けの精神で、制度の穴を突いて狡く立ち回った方が、何も変わらない投票や、飲み会で愚痴るよりも、賢しい選択に思えるのは私だけだろうか。
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