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事故調査で必要なのは「犯人探し」ではなく「原因究明」


安全輸送に真摯に向き合うからこそ、言及する立場にない。

 年始早々、私もしばしば利用する羽田空港で、民間機が焼損するショッキングな映像が各メディアを通じて流れた。

 海外メディアが報じたように、大型旅客機の乗員乗客379人を、一人も取り残すことなく全員脱出して、死者が出なかったのは奇跡的で、日頃の訓練の成果と現場力の賜物であり、賞賛以外の何者でもない。

 業界は違えど、かつて安全輸送の一端を担っていた元鉄道員として、今回の事故に対するメディアの報じ方や、憶測による事故は防げたのではないか的な論調や、手荷物や補償の取扱いを発端に巻き起こる世論には、本件で得られた筈の教訓が霞み、未来の安全輸送に活かせなくなる懸念すら感じる怖さがある。

 現に航空安全推進連絡会議から緊急声明が出ている。本記事も声明に則って、事故に関する言及は行わないと言うよりも、私如きが言及する立場にはない。

 安全輸送に真摯に向き合って来た人間ほど、この手の事故調査で、まだ分かってもいない事を、あたかも情報通のように装い、余計なことを発信する愚行がどれほど無責任で、将来の安全にとって、どれほどの害悪となるのか、嫌というほど知っているからだ。

 だからこそ、言及する立場にないと身の程を弁える。そうして、身の程を弁えていない下劣な輩の声ばかりが大きくなって、混沌を極めているのが現状だろう。

フェイルセーフの仕組みが重要。

 当たり前だが、人間はミスをする生き物である。ミスをしない人間など居ない。一見すると完璧に見える人も、軌道修正がうまかったり、表面化していないだけで、多かれ少なかれミスはしている。

 とはいえ、他人の命を預かるような職種だと、ワンミスが文字通り命取りになりかねない訳で、人はミスをする生き物だからと、ミスを正当化して良い訳ではない。

 大事なのは、ヒューマンエラーが一定の割合で起きる前提のもとで、仮にエラーが起きても別の仕組みでバックアップして、事故には繋がらないフェイルセーフを構築している状態があるべき姿であり、個人を糾弾しても原因究明には繋がらない。忘れた頃に同じ過ちを悪戯に繰り返すだけである。

 現に航空業界では、人間はミスをする前提で、次にミスを起こさない再発防止を理念に、ヒヤリハット情報やインシデント情報が、人事評価に影響しない仕組みで、事故原因の特定に繋げている。

 そのため、緊急声明にもあるように、刑事捜査が優先されるものでもなければ、事故調査の結果が、再発防止以外に利用されるべきではない。

 航空業界の安全に対する向き合い方は、一介の鉄道員として感心するレベルで、鉄道なんかとは次元が違う。鉄道業界は往々にして、恐怖政治体質で犯人探しと、見せしめまがいな懲罰で片付けては、忘れた頃に同じ過ちを繰り返す。

 末端の従事者が足掻いたところで、この構造が劇的に変わる訳もなく、嫌気がさして業界を去った節はある。それくらい、同じ旅客運送でも原因究明に対する基本姿勢が異なる。

 だからこそ、航空業界の安全に対する向き合い方は、鉄道なんかとは次元が違う。進次郎構文になっていることに薄々気づきながらも、大事なことなので2回記した。

 今、我々ができることは、原因究明を阻害するような愚行をせず、フェイルセーフの仕組みが再構築される様子を、じっとして見守ること以外ない。

不可逆的なことに、たらればを並べても、事態は好転しない。

 そもそも、ミスをしたくない筈の大人が、ついうっかりミスをしてしまう環境が現場にあった、それらを究明している渦中に、結果論で安全圏からたらればを並べては、半ば当事者を糾弾する行為に何の意味があるのだろうか。

 どれほど怒ったり、悔やんだところで、起きてしまったことを取り消すことはできない訳で、それにより合理的な判断ができていないのであれば、サンクコストバイアスを疑った方が、人として健全だろう。

 航空や鉄道に限った話ではないが、何かしらの不具合によって、自分の計画通りに物事が運ばなかった怒りを、現場の人間にぶつけて来る人間が一定の割合で発生するが、それをしたことで、事態が好転する訳ではない。

 だからこそ回収不能な埋没費用だと割り切り、本来であれば投資で言うところの損切りによって一旦白紙に戻して、今現時点で最も合理的な意思決定を再度行うのが賢明であり、それが所謂よくできた人の処世術ではないだろうか。

 本件であれば、羽田空港のC滑走路が当日中に再開する見込みがないと分かれば、膨大な本数はキャパオーバーで捌ききれない。結果として、計画通りに運行できず、大幅な遅れや振替便すら欠航するリスクがあることは、少し考えれば想定し得る事態だろう。

 代替手段がない人は致し方ない側面があるものの、それがある場合は、そちらに振り替えたほうが理に適っている可能性が高く、最初の意思決定に執着して、期待値の低い場所に居続けるのは、一介の投資家として得策とは思えない。

 その延長線上で考えられるなら、海保機長を糾弾したところで、事故がなかったことにできる訳ではないのだから、サンクコストと割り切り、海保機長には包み隠さず、当時の状況をできる限り正確に打ち明けて頂き、原因究明と今後の対策に役立てることが、取り得る最善の手段だろう。

 冒頭に記した通り、本件で得られた筈の教訓が霞み、未来の安全輸送に活かせなくなる懸念すら感じる怖さがある理由が、当事者を萎縮させてしまっている現状にあると考える。

 決して甘やかす意図で当事者を責めてはいけないと主張したい訳ではなく、あくまでも原因究明に徹するための最善策であることは、かつてワンミスが命取りになる職に就いていた者として、大衆に広く知られるべきだと切に願う。


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