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リテラシーの差が生む悲劇。

金融知識がない相手の相談は受けない。

 お金の話が出来る仲の友人と食事をした際、同窓生からマンション投資の相談を受けたらしく、理に適ってないことをいくら説明しても、聞く耳を持ってくれなかったと愚痴をこぼした。

 私は拝金主義者ではないため、お金を持っている奴が偉いとは全く思っていないが、相談を受けた友人よりも、私の方がバランスシート上の純資産に相当する額は数倍大きいため、同窓生の中ではお金を上手く扱える部類であることは自負している。

 同じ工業高校出身者で、高卒で社会に出て、似たような所得レンジの職に就き、同じ年数だけ勤めていれば、社会に出てから今に至るまでに得ていたであろう生涯所得に大きな差は出ない。

 お金持ちの方程式は(収入-支出)+(資産×運用利回り)に集約され、これまでの収入が大差なく、資産は同じゼロスタートである以上、私が質素倹約に暮らして、捻出した種銭を適切に運用して数年経過した結果、純資産額に数倍もの差が開いていると推定できる。

 とはいえ、友人もまた同世代比で、中央値よりも遥かに多額の純資産を有しており、決して金融広報中央委員会の統計にあるような保有資産額が10万円に満たない訳ではない。

 高卒で薄給ブラックな環境に身を置きながら、20代の上位0.8%に位置する純金融資産を保有する私がイカれているだけで、本来であれば同窓生の相談は、友人ではなく私が受けた方が適切なのかも知れないが、変わり者のレッテルのおかげで、お願いされることはまずない。

 仮に相談されても肝心の内容が、ググレカスに毛が生えたレベルであれば、「そうなんだ。自分の人生なんだし、好きにしたら良いんじゃない?」と軽く流して終了である。

 友人から中古物件を購入する際に、物件情報や相場、路線価など、具体的な数字を明示された上で、意見を求められた際には、利用想定の期間からトータルコスト(LTV)を推定して、損益分岐点を算出した。

 不動産屋よりも現実的な楽観シナリオで見積もると旨みがこれくらい。悲観シナリオだとほぼ旨みがないと、数字を用いて答えたが、それは説明する相手側に相応の金融リテラシーがあるからこそ、中立的な意見を提示できる訳で、それがないと判断した相手には肯定も否定もしない。

「月が綺麗ですね」にも似た、どう思う?

 友人は事務職という職業柄、何も交友関係のある人だけでなく、職場内でも住宅や保険に関して意見を求められることがあるらしく、「どう思いますか?」と意見を求められたから、ロジックで答えたまでなのに、ムッとされるのがオチで、内心「じゃあ聞くなよ」といつも思うと愚痴をこぼしていた。

 知識のない人が聞きがちな質問に、漠然とした「どう思う?」が挙げられるが、これは他者の意見を聞きたい訳ではなく、単に「肯定して欲しい」「後押しして欲しい」を言い換えたに過ぎないケースが圧倒多数である。

 それならば知識のない相手は「I love you.」を「月が綺麗ですね」と、文学的代用表現をしてしまう、厨二病であることを前提に適当に接した方が、真面目に正論を伝えた結果、ムッとされて無駄にモヤモヤすることもなくなる。因みに夏目漱石のエピソードとして有名になっているが、出典はなく都市伝説に過ぎない。

 そうして高卒で社会に出て、お金の知識を身に付ける過程で、かつての私も友人と同じような状況を経験し、有効な対策を試行錯誤した結果、「好きにしたら良いんじゃない?」と肯定も否定もしなくなった。

 他人を変えようと勝手に期待したところで、自分の意のままに操れることなんてほぼない。できるとすれば暴力や恐怖による支配か、マインドコントロールくらいなものだろう。

 そんなサイコパスになってまで他者を変えるつもりがなく、話し合いによる平和的解決でどうにかしたいのであれば、自分自身の認識を変えてしまったほうが手っ取り早い。そうして他人に期待しなくなると、次第に肯定も否定もしなくなる。

8050問題の逮捕者、交通事故の死亡率並み。

 そんな話を酒を飲んである程度、頭が悪くなった状態で熱弁した後に友人が呟いたのは、子どもにはしっかりと金融教育を行わなければ…と、親になった義務感が表出していた。

 子どもの時に目の前にある、狭い世間から一歩踏み出すと、広い世界があることや、その中で生き抜く術を教えることこそ、親が子に与えられる唯一の資産と言っても過言ではないからだ。

 「授人以魚 不如授人以漁」老子の言葉を現代風に言えば、資産を与えるのではなく、資産の作り方を教えることが、親が子にできることである。

 基本的には親の後に生まれた子の方が長く生きるのだから、いくら親が子に資産を与えたところで、親が先立つ前に自立できなければ、子は生きる術を失ったに等しい。それが本当に子のためになるのだろうか。

 8050問題、9060問題と言われる、親の年金をアテにして、実家で引きこもっていた子供部屋おじさん(おばさん)が、親が死亡した際に、年金を受け取り続けるために死体を隠し、後にそれが発覚して、死体遺棄と不正受給で逮捕されるケースは、年間数十件規模で発生している。

 平成30年の調査で40〜64歳の引きこもりは全国で613,000人と推計されており、2019年にそのような悲劇が最低でも年間39件発覚と、交通事故での死亡率に匹敵する。

 私がパチンカスに片足突っ込んでいた10代の頃、CRエヴァンゲリオンで流れる「慟哭へのモノローグ」の歌詞の一節に、親が子に施してあげられることへの真意が詰まっている。

”生き抜く強さを教えきれず 旅立ったこの罪の重さに”

慟哭へのモノローグ|高橋洋子

 私も友人も親に金融リテラシーがないが故に、独自のお金感を試行錯誤しながら身に付けた仲で、お互い一度は高卒で社会出たものの、幅広い知識や教養を身に付けようと、大学で学び直している。

 自分たちが生き抜く強さをロクに教えられず社会に出たからこそ、せめて自分の周囲だけは、同じ悲劇を繰り返したくない気持ちが表出するのかも知れない。


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